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小池 佑太 2014アメリカ留学(カレッジオブレイクカウンティ) (2015年04月20日)

 

アメリカでの私の暮らし‐College of Lake Countyでの生活を通して‐ 私は2014年8月19日から同年12月28日の4か月間で、アメリカ合衆国イリノイ州に語学留学を行いました。私の通っていた学校はCollege of Lake County (CLC) という短大のような大学で、愛媛大学でいうところの共通教育の英語コミュニケーションや総合英語のような講義を1学期間受講しました。こちらの学校には日本人が5,6人ほどで、事前に心配していた「日本人でかたまってしまい、留学した甲斐がなかった」という事態には陥る心配のない環境でありました。基本的に日常会話は英語であり授業も英語で行われるので、そういった意味でも大変英語慣れした留学であったかなと感じています。 今回は私のアメリカでの4か月間を「日常生活」「学校での生活」「休日の生活」の3つのテーマに分けて紹介したいと思います。たった4か月間ではありましたが比較的よく勉強し、よく遊んだ方だと自負しています。今後留学されるみなさんの参考に少しでもなればと思います。

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1.日常生活

まずアメリカで苦労したのは、買い物やホテルでの現地のスタッフとのやり取りと、日本とは異なった生活文化に適応することです。ファーストフード店でサンドウィッチ一つ買うのに英語が聞き取れず大変な思いをしたり、ホテルのフロントの人との会話が十分に成り立たなかったり、日本では当たり前にできていたことが、言語の壁から十分には出来なくなり最初は大変戸惑いました。最初の1,2か月はスタッフとのやり取りを避けがちではありましたが、最後の2か月間は英語の会話に慣れた部分もあり、自らきっかけを作って会話しに行くほどに成長しました。印象深いのは、帰国が間近に迫ったスーパーでレジの接客をしてくれたスタッフが数年前にアメリカに他国から移住してきた方で「大変だと思うけど頑張って、またアメリカにおいでね」と言われたことでした。ほんの些細なことではありますが、「生活に慣れる」ことを感じるたびに喜びを噛みしめていました。また、実生活を通じて感じた点は、アメリカで生活するには車が必要不可欠だという点です。私は車を持っていなかったため大変不便な思いをしましたが、ルームメイトをはじめとする友人たちに送り迎えをしてもらえることが多かったのでなんとか生活できました。特にショッピングの際は、スーパーまでの距離は遠い、かつ、1つ1つの商品の重量がかなりあるため、本当に苦労しました。今後アメリカに留学される方は、そういった意味でも移動手段が事前に確保できていると安心かもしれません。

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2.学校での生活

ここでは主に授業についてとそのほかの時間の過ごし方をお話したいと思います。まず授業についてです。College of Lake County は様々な国からの留学生を受け入れているため、大学レベルの講義を受けるための英語力を備えるカリキュラムが用意されており、履修の前に英語のテストを受け、点数に応じて4段階のレベルでクラス分けがなされました。私は1番上のレベルのコースを履修し、スピーキング・リーディング・ライティングの3つの授業を受けていました。時間割は愛媛大学とほぼ同じ時間帯で月曜2・3限、水曜2・3限、金曜2限という1週間の時間割であり、クラスは10名強の少人数クラスでした。授業内容は教科書を用いて文法事項を確認したり、Pat Conroy作のThe water is wideという小説を毎授業で読んだり、プレゼンテーションについて学んだりしました。その中でも小説を読む授業は特に骨の折れるもので、予習をしっかり行わないととてもついていける授業ではありませんでした。どの授業も大変ではありましたが、クラスメイトとも徐々に仲良くなりとても楽しい授業だったと感じています。 次に授業外での生活についてです。基本的に私はサークル活動に参加するか、学校にあるホールで友人たちと勉強したり会話を楽しんでいたりしていました。サークルはInternational Club(留学生サークル)とAsia Student Alliance(アジアサークル)の2つに所属し、それぞれ週1回集まって交流を深めていました。これらのサークルでは休日にちょっとした旅行を行ったり、ハロウィンやクリスマスといったイベントの時期にはアメリカらしくお祝いパーティがあったりしました。こうして仲良くなったサークルメイトやクラスメイトとそれ以外の時間に一緒にいることが多くなり、時間に余裕があるときは、ショッピングモールに買い物に行ったり、外にご飯に行ったりすることもありました。その結果、時間が経つにつれて学校に行くのがより楽しく感じるようになりました。こうした自身の経験から、毎日を楽しく過ごすためにはもちろん、語学の上達にも「遊び」は留学において特に重要なものだと感じました。

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3.休日の生活

普段は友人やルームメイトと車でドライブに遊びに出たり、夜はバーや自宅・友人の家でお酒を楽しんだり、休日を利用してシカゴへ(滞在地から電車で1時間)旅行に行ったりしました。特に印象に残っているのは、3か月間シェアハウスをしていたルームメイトと過ごした時間です。私は日本人2人、イエメン人の兄弟2人の計5人で1軒屋をシェアしていました。お互いに時間ができた時にはルームメイトが持っていた車で農園や教会、ハロウィンパーティーなど、アメリカならではの場所へ連れて行ってもらいました。彼らとは最初は見ず知らずの他人でしたが、帰国直前には兄弟のような存在になり大変心に残るシェアハウス生活を送ることが出来ました。私の経験からは、ルームシェアで得られる経験は貴重なものであると感じたので、機会があるようならぜひお勧めします。

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私はアメリカへの留学が初めての海外渡航で、言語の面や宗教観をはじめとする価値観の違いなど、留学前は多くの心配を抱えていました。しかし、行ってみると意外となんとかなるもので、唯一無二の経験を積めたと感じており、同時にもっと海外の様々な国々の人々と交流したいと考えるようになりました。卒業後は、こうした経験を活かしてより世界にアプローチしていけるような仕事に就きたいと考えています。留学を少しでも考えているみなさんもぜひ、世界に触れる第一歩としてチャレンジをしてみてはいかがでしょうか。

岩元 香菜 2014韓国留学(蔚山大学校) (2015年04月13日)

私は平成26年2月末から平成27年2月末までの一年間、蔚山大学に交換留学をしていました。来年度4回生になるというときに留学をしようと思ったきっかけは、平成25年度の夏休みに蔚山大学での語学研修に参加したことでした。研修中、授業や外出先などいつもどこかで韓国語に触れる毎日を過ごし、日々新しいことを吸収できる環境を魅力的に感じました。また、以前から方言に関心があったのですが、日本では標準語で勉強するため方言に触れる機会はなかなかありませんでした。実際に蔚山の人たちが話しているのを聞いてみて、個人的には方言のほうが親しみを感じ、温かみがあっていいなと思いました。研修を通して、韓国語をもっと深く学びたいと思うようになったし、住みやすくて人の温かさを感じられる蔚山が大好きになりました。そこで教科書や辞書だけでは学ぶことができない生きた韓国語を身につけながら方言も習得したいと思ったので蔚山大学への留学を決意しました。

 

1.蔚山と蔚山大学

蔚山は朝鮮半島南東部に位置する広域市です。現代自動車や現代重工業など現代グループの企業が集まる韓国の代表的な工業都市であり、温暖な気候の港湾都市でもあります。

釜山の海雲台(ヘウンデ)ほど有名ではありませんがイルサン海水浴場、チナ海水浴場、モンドル海水浴場、チョンヂャ海水浴場という海水浴場が4つもあります。中でもイルサン海水浴場は夏に祭りや公演、海洋スポーツ大会などが開かれるので有名なところです。行事が多く周りに飲食店も多くあるので夏は観光客や地元のたくさんの人で賑わっています。チナ海水浴場のカンヂョルゴというところには写真2のような高さ5mほどの大きな「希望郵便ポスト」があります。手紙を入れたら宛先にちゃんと配達してくれるそうです。またここは東海岸で一番に日が昇るところで、韓国の代表的な日の出のスポットになっています。

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写真1 イルサン海水浴場          写真2 希望郵便ポスト

 

蔚山大学は1970年に蔚山工科大学として開校し、1985年に四年制の総合大学になりました。学部は人文学部、社会学部、経営学部、自然科学学部、生活科学学部、工科学部、デザイン・建築融合学部、芸術学部があります。学部ごとにおそろいのジャンパーがあり、冬にはほとんどの学生がそれを着ています。下の写真3のように留学生用もあるので私はそちらを買いました。

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写真3 ジャンパー   写真4 行政本館(蔚山大学の代表的な建物っぽいです…)

 

2.学習について

私は一年間、語学堂(外国人留学生向けの韓国語教育機関)の授業を受けました。蔚山大学の語学堂では中国、サウジアラビア、日本、モンゴルなどから来た留学生約180人が1クラス15~20人で、1~6級のクラスに分かれて勉強しています。春期・夏期は1,2級が午前9時~午後1時まで、3~6級が午後1時~5時までの授業でした。秋期・冬期は国際館にいくつか新しい教室が作られた関係で全クラス午前9時~午後1時までになりました。

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写真5 国際館

韓国に着いて数日後にレベル分けテストを受け、私は3級のクラスからのスタートでした。夏の研修の後からなるべく毎日何らかの形で韓国語に触れるよう心掛けていたこともあって、研修のときのように先生のおっしゃることが全然理解できないということはありませんでした。それでも最初は分からないことが多く、授業についていけなくなるのが不安で予習と復習をかかさず勉強ばかりしていました。そのおかげで徐々に語学力も伸び、授業中に習った自分の性格や経験など身の回りについての韓国語は日常会話でもすぐ使えるようになりました。しかし授業外で韓国人と話すとなると内容は幅広く分からないことだらけでした。もっと韓国人の友人と交流しながらいろいろ経験しようと思いサークルに入ることにしました。サークルについては後程紹介しようと思います。

クラスみんな仲が良く授業中の雰囲気もとても良かったです。食事会をしたり文化授業で一日中一緒に過ごしたりと、学期ごとに新しい仲間と楽しく過ごせました。いろいろな国から来た人が集まっていたので授業のテーマごとに韓国だけでなく様々な国の暮らしや考え方などについて知る機会が多く、今まで関心を向けていなかったことに目を向けたり新しいことをたくさん吸収したりすることができました。また、勉強熱心で自分の意見をしっかり持っている積極的な人が多く良い刺激になりました。

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写真6 オンギ(素焼きの器)作り体験  写真7 5級のクラスのみんなと

 

3.交流について

留学してすぐにサークルに入ろうと思い、あるサークルの話を聞きに行ったのですが、その時はまだ簡単な会話しかできなかったため「韓国語そんなに話せないのか…」と微妙な反応をされてしまいました。悔しかったけれど受け入れに積極的ではなかったし、それまでの自分の努力が足りなかったせいなので一旦必死に勉強しようと諦めていました。

でも先ほど述べたように韓国人ともっと関わりながらいろいろなことを学んでいきたいと思ったので五月ごろに友人の紹介で将棋サークルに入りました。将棋のやり方も分からないし、ものすごく興味があったわけではありませんでしたが、人がとても良かったので加入することにしました。一生懸命勉強して3級のクラスを無事に終え、少し自信がついてきたとは言っても以前のような反応をされたら…という不安がありました。しかし、このサークルでは十分に意思疎通ができなくてもあちらから積極的に話しかけてくれたり、将棋のやり方を進んで教えてくれたりしました。サークルの部屋に遊びにいけばいつも温かく迎えてくれ、仲間にいれてもらえたことが本当に嬉しかったです。

サークルを通して言語の面で得たものも多く、韓国人と実際に関わってこそ理解できる文化も多かったです。方言が強い友人や難しい言葉をよく使う先輩などと話せば話すほど言語ストックが増えていきためになりました。MTという合宿に参加した際は韓国人学生ならではのお酒の席を体験することができて楽しかったです。みんなで輪になってさまざまなゲームをしながら明け方までずっとビールや焼酎を飲んでいました。多くの方が知っているとは思いますが、韓国では目上の人とお酒を飲むとき目下の人は横を向いて飲みます。話すときは目上の人に対して敬語を表わす‘-시(シ)-’(어디 가셨어요?:どこに行かれましたか?)を使っていました。学生の楽しいお酒の席でもやはり儒教の文化がしっかり守られていることに感心してしまいました。

 

サークル以外にもお互いに日本語と韓国語を教え合う友人や、よく集まるメンバーで登山をしたり家のベランダで焼き肉をしたりして交流をしていました。友人の数は他の人に比べるとそんなに多くありませんが、関係が長く続く良い友人に出会えたので良かったと思います。これからも連絡を取り合い、交流を続けていきたいです。

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4.まとめ

最近は独学で韓国語を勉強している方も多く、やる気や勉強方法によっては日本でも十分な語学力を身につけることができると思います。それに今は本やインターネットのおかげで様々な情報を得られるので直接行ってみなくても韓国についていろいろと知っている人は多いかもしれません。しかしその土地で生活することによって語学だけでなく、そこで生活するからこそ得られるものがたくさんあると思います。例えば文化や考え方などについて聞いていた通りだと思うこともあれば、違うこともありました。聞いていたことと違うと分かったとき、やはり実際に自分の目で見て触れてみなければ理解できないし誤解することも多いのではないかと思いました。留学前「韓国行って大丈夫?」(嫌日なのに、という意味で)と聞いてきた人が何人かいましたがこれも日本人が誤解しているというか、一括りにして考えてしまっていることの一つだと思います。私の周りにたまたま嫌日の人がいなかったという可能性も否定はできませんが、私が関わった人の中には一人もいませんでした。学生、食堂のおじさんやおばさん、街で話しかけてくれた人みんな日本人だと分かっても特に変わった態度を見せることはなく、逆に関心を持って接してくれました。どんなことでも自分が直接見て確かめたのではないなら、一括りにして考えてしまってはいけないと改めて感じました。私はこのような初歩的なことさえも日本を離れ留学してさまざまな国の人と関わったからこそ気づけた大きな収穫だと思っています。

4回生であっても迷うことなく留学することにして本当に良かったと思います。両親や支援してくださった方々のおかげで充実した留学生活を送ることができました。本当にありがとうございました。