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坪内かなえ 韓国語・韓国文化研修(蔚山大学) (2012年05月28日)

1.はじめに

 私はこの研修に参加する前にも、個人的にソウルにある大学に同じような短期研修に参加したことがありました。研修では、とても良い経験をすることができ、韓国語の実力も伸びたと感じました。そこで、大学生活最後の夏休みにもう一度韓国に研修に行きたい、と思いこの研修に参加することにしました。また、自分が地方出身ということや、愛媛大学で出会う韓国人留学生もソウル以外の出身の方が多いので、今回はソウル以外の地域に興味がありました。研修中は、大学生活で勉強してきた韓国語の力がどのくらい通じるのか試し、韓国人とも積極的に交流をしようと思いました。

2.研修で得たもの

 まずは、積極的に行動することです。授業中には、積極的に発言するように心がけました。間違えた表現をしていれば、先生がすぐに直してくれるので、力になっていくことを実感できました。また、研修最終日にある弁論大会にも挑戦しました。話したい内容がまとまらず、何度も書き直したり、お世話をしてくれる韓国人スタッフにも相談したりして、なんとか弁論日までに書きあげることができました。大勢の前でスピーチをすることはとても緊張しましたが、自信を持って感情をこめることを意識しました。スピーチ前は、やらなければ良かったかな…なんて正直考えてしまう時もありましたが、スピーチ後は達成感があり、やって良かったと思いました。韓国語でスピーチをするという、なかなか出来ない経験をすることができ、挑戦してみて良かったと思っています。

 

 日韓の歴史問題について考えさせられることもありました。仲良くなった韓国人にあるとき、「こんな話をしていいのか分からないけど」という前置きから、領土問題や歴史の話題をになりました。大学で私も日韓の歴史については勉強していたものの、実際に韓国人と話をするとなると、急に自分の知識に自信がなくなり、どうしよう、と思ってしまう自分がいることに気付きました。また、韓国語で歴史についての考えを伝えるには、あまりにも韓国語力が不足していると感じました。私は、歴史にとらわれず、1対1で韓国人と実際に関わることが大切だと思ってきましたが、それでも歴史問題は避けて通れないものだと感じました。今までは仲良くなっても歴史についての話をすることはあまり無かったので、今回、歴史に関する話をすることで、さらに友情が深まった気がします。

 

 また、3週間共に研修を送る中で、多くの人に出会い、これからも付き合っていきたいと思える仲間に出会うことができました。韓国で迎えた私の誕生日にはみんながパーティーを開いてくれて、一生忘れられない誕生日を過ごすことが出来ました。この研修に参加しなければ出会うことのできない人たちばかりなので、この研修に参加して本当に良かったと思います。

3.得たことをどう生かしたいか

 まずは、これからも何事にも積極的に行動することを心掛けていきたいと思います。日本にいながらも出来ることはたくさんあると思うので、留学生と積極的に関わったり、やりたいと思ったことには悔いのないように挑戦していこうと思います。また、大好きな韓国語の勉強はこれから先、一生続けていきたいと思っています。

 

 また、日韓の問題についてもっと知り、考えていきたいです。自分自身が理解していくことはもちろんですが、周りの人にももっと関心をもってもらえるようにしたいと思います。直接韓国人と関わったり、実際に韓国に行くことが、関心を持つきっかけになると思うので、私が韓国人と関わるだけではなく、私の友達などにその幅を広げていきたいと思います。また、韓国人は初対面の人とでもすぐに仲良くなり、また場を盛り上げる力を持っていると感じました。情にも厚く、私が無くしてしまったカメラを探してくれたこともありました。そのような韓国人のコミュニケーション力を見習い、情に厚い人間に私もなっていきたいです。そして今回出会った人たちとはこれから先も連絡を取り合っていきたいと思います。

 

 私の大学生活はあと半年しか残っていませんが、まだまだ大学生活の残っている後輩たちに今回の経験を伝えていきたいと思います。もっと早いうちから海外に行っておけば良かったと思うので、後輩たちには大学生活の間に、ぜひ海外に行って異文化を体験して、いろいろなことを感じて欲しいと伝えていきたいです。

4.おわりに

 長いようで短かった3週間。その間には、ここに書ききれないほど本当に多くの経験をすることができました。毎日が充実していて、日本に帰りたくないと思ったほどでした。

 

 私の大学生活を振り返ってみると韓国でいっぱいです。そんな大好きな韓国に大学生活最後の夏休みに行くことが出来て本当に本当に本当に良かったです。一生忘れられない思い出を作ることが出来たこの研修に参加出来たのは、両親や先生方、友達…たくさんの人の支えと理解があってのことです。伝えきれないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。この感謝の気持ちと今回の経験を忘れず、これから恩返しをしていきたいと思います。

 

<おまけ:思い出の写真たち>

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▲いつも笑顔な金先生と

 

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▲いつも爆笑♪愛媛&沖縄組 釜山にて

兵頭 功一 中国・中央民族大学短期交換留学 (2010年11月29日)

中央民族大学は中華人民共和国北京市海淀区魏公村に所在し、国家民族事務委員会が管理する公立大学で国家重点大学にも指定されています。中国少数民族教育の最高学府として少数民族の高級人材養成を使命とし、中国の56民族すべてを一堂に集めています。在校生1.3万人余りで、全日制学部学生の70%前後が少数民族となっています。中国では「民大」と略称する人が多いです。私はこの大学で2010年9月より語学留学をしています。中国の大学にしては小さめの大学ですが、伝統のある大学です。それに日本人から言えばとても過ごしやすい大学です。学生たちはとても友好的で、日本語に興味のある学生も多いです。授業はレベルごとに合計10班に分けられ、どの班も人数は12.3人程度であり、授業中の質問も小さなことでも受け付けてもらえるので、とても勉強しやすいです。班はクラス分けテストを受けて割り振られますが、自分のレベルとあってないと感じた場合、学期始まりであれば変更が可能です。授業以外でも日本語に興味のある中国人の友人を見つけてお互いに教えあう『相互学習』で、中国語のレベルを上げることができます。言語だけでなく、互いの習慣や文化を理解することで視野も広がります。

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この大学には中国の観光名所に連れて行ってくれたり、中国の伝統芸能を教えてくれたり、『HSK』という中国語を非母語とする人を対象にした言語検定の資格取得の補習をしてくれたりなどの課外活動も豊富です。11月には留学生たちによる小さな発表会のようなものもあり、私ともう一人愛大からの留学生も参加して、他の留学生たちとの友好関係を得て、また深めることができました。中央民族大学に来ている留学生は、アメリカ、イギリス、イタリア、インドネシア、韓国、スリランカ、タイ、トルコ、ロシア等々、各国さまざまな文化・習慣をもった人がおり、とても楽しいです。 写真は、学校の正門と発表会のものです。

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・生活

最初に治安に関して、最近日本では中国で反日デモが盛んに起こっていると報道され、中国人の日本人に対する印象はとても悪く、中国に行くのは危険といわれているようですが、北京はとても安全です。学内だけでなく、私は一般人と話をする機会が月並みにありますが、まだ日本・日本人が嫌いだという人には出会ったことがありません。寧ろ、とても友好的でよく話しかけてくれたり、食事に誘ってくれ、時にはごちそうしてくれたりと人付き合いに積極的な印象を受けました。他にはトイレについてですが、日本人の大半の人はあまり衛生的でないと思われている方が多いと思いますが、現在の中国では大半の方が思い描いているような仕切りがないなどの古いトイレは北京では減少しています。少なくとも、学内、学校周辺にはないと思います。ただし、やはり紙はないので外出にはポケットティッシュが必要です。学食の食事はとても安く、種類も豊富でおいしいです。学食で3食食べるなら30元もあれば事足ります。

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学生寮に関してですが、最近民族大学の東門の近くに新たに留学生寮が建ちました。内装はとてもきれいでホテルのようです。寮費もさほど高くないので好条件だと思います。実際、私もこちらの寮で生活しており、とても快適です。ネットも無線で使用することができます、しかしLANケーブルを挿すところがないので、必ず無線LANが付いているパソコンを用意する必要があります。物価も安いうえ、買い物も値切りが可能です。他にも様々な刺激が中国での生活を有意義なものにしてくれます。

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日野 和明 中国・中央民族大学短期交換留学 (2010年11月29日)

中国長期留学中間報告

愛媛大学 法文学部 総合政策学科 二回生 日野和明

・現在までの留学の流れ
八月  中国に入国
民族大学 留学生楼に入寮
授業開始
九月  観光ビザから留学ビザに切り替え
十月  中間テスト
十二月 期末テスト

 私は、平成22年八月より中国中央民族大学に、愛媛大学からの交換留学生として在籍しています。私が中国に留学しようと思い至ったのには二つ理由があります。一つは愛媛大学で中国から来た留学生や、マカオ、香港の学生と知り合ったことです。彼らの高い学習意欲や目的意識は、私にいつも大きな刺激を与えてくれました。彼らと共に食事をする中で、現在の中日の関係を話したり、中国の社会の話をしてくれ、非常に面白く感じましたいま一つは、中村則弘先生の講義で学んだ、中国をフィールドとした社会学について興味を持ったことです。これらのことから強く中国に行って中国語、文化を学んでみたいと思い留学を決意しました。
留学準備については、国際連携推進課の陳捷先生から紹介していただいた先輩の手を借りながら、健康診断書や航空券、中国の生活で必要なものなどを揃えました。現地においても陳先生や友人に助けてもらい寮に無事に入居することができました。私の入居した寮は新しくできたものらしく本当にきれいで、トイレ、シャワー完備週に2~3回ほど掃除やベッドのシーツを変えてくれるサービスもあります。寮のフロントの人たちと会話することもでき、時に宿題のわからないところなどを質問をしたりしています。また、生活に必要なものは大学内の商店で買え、交通の面では地下鉄、バスの駅から徒歩で行ける距離なので、生活の面では快適というほかありません。ちなみに、民族大学はとても大きな学生食堂を、いくつも設けており中国各地の料理を低価格で味わえます。民族大学の学生に聞いたところ、北京にある大学の中でも非常においしく低価格な学食のようです。日本円にして150円くらいで、お腹いっぱいの食事をすることができ、私はほぼ毎日利用しています。また、西門付近にもさまざまな料理店が密集しており、食の面においては十分に満足しています。そして、安全面においても申し分なく、巷でデモが噂された時でも北京市内、大学内は何も大きな問題は起こらず、かなり心配していましたが、いつもと変わらぬ生活を送ることができました。
授業は週に5日一日に二時間の総合課、二時間の口語課、計4時間の授業があります。クラスは10~13人と少人数で先生がいつでも質問に答えてくれます。発言の機会も非常に多く与えられます。また風邪をひいた時は心から心配し、薬を買いについてきてくれたりもしました。授業が午前で終わる日などは、クラスの皆を北京の名所を案内してくれています。そして、全く中国語を話せずに中国に来た私の辞書を見ながら、ノートに漢字を書きながらの会話にも根気強く付き合ってくれるため非常に助かっています。
また、私のクラスメイト達は多国籍で九カ国から来ており、さまざまな国の文化を耳にすることができ毎日が新鮮です。中国文化だけではなく、マレーシアやインドネシア、イギリス、フランス、ロシア、タイ、アメリカ、ウズベキスタンの各国の聞いたことのなかった制度や社会問題を直接耳にすることができることはいままでになかった経験で、非常に多くのことを考えさせられます。
 また授業以外に民族大学の中である催しはとても多く、学生同士のディベート大会、留学生の中国語を用いて行う留学生表演祭など課外活動も本当に充実しているように感じます。特に学生のディベートは時間を上手に使い、短時間に要点を盛り込んで話す、驚くほどレベルが高いものでした。以前に大学の授業でディーべートをしたことがありましたが、民族大学の学生のディベートを聞いて非常に良い刺激を与えられました。

 今後も積極的に授業に参加し、中国の人々、さまざまな国から来た学生と会い自分の見聞を広げていきたいと思っています。中国に来て三カ月になりますが、実に様々な人と会うことができ、文化、人の優しさなど様々なことを学べたような気がします。たくさんの友人を作ることもでき、貴重な体験をしているということを毎日実感しながら生活出来ています。今後も引き続き一生懸命中国語を学んで、有意義な、人生の宝となるような経験を積みたいと思います。

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集合写真

立岩 依里子 インドネシア短期交換留学 (2008年08月18日)

インドネシア体験記

立岩 依里子

私は,2月24日から3月24日の30日間,インドネシアのマカッサルという町に一ヶ月間滞在しました。以前から海外や日本語教育にとても興味があり,今回のプロジェクトを紹介されたときには「絶対行きたい」と思い,行くことを決めました。しかし,両親の反対など,行く前からいろいろ問題もありましたが,現地の先生と連絡をとるなどして現地の情報を収集し,いろんな問題を解決して無事に出発の日を迎えることができました。
日本からマカッサルまでは,丸1日かかりました。途中バリで1泊したので,少しではありますが,バリの観光も楽しめました。

次の日マカッサルの空港につき,早速ハサヌディン大学に行きました。ハサヌディン大学は広大な敷地の中に,いくつかの学部があるとても大きな大学でした。先生方に挨拶をして,ホームステイ先に送っていただきました。私が前もって知っていたホームステイ先の情報は,両親は日本語が少しできること,1階で歯医者さんをされていて上の階が自宅であること,街の中にあること,小さい子供がいることぐらいでした。なので,私はインドネシア語を全く勉強していなかったし,英語が得意ではないこともあって,コミュニケーションがとれるかどうかとても不安でした。しかし,家につくととても立派なクリニックで,私の部屋としてとても広い部屋を用意してくれていました。心配していたコミュニケーションも,お父さん・お母さんとは日本語で十分会話ができました。子供たちとは,英語や簡単なインドネシア語でコミュニケーションをとりました。私も,少しずつではありますがインドネシア語を勉強しました。
ハサヌディン大学へは平日は毎日通いました。主な活動は,最初は日本語の授業の見学に始まり,徐々に授業での机間指導の補助も行わせていただきました。また,学生が日本の様々な文化のことを調べている授業では,インタビューを受けました。

まだ日本語学科は新しくできたばかりで,学生たちは今まであまり日本人と話したことがないので,日本語で会話をすることに自信がないようでした。しかし,私にインタビューをする時は,大学の先生方がいる部屋の隣の部屋で私と学生だけになって話し,一生懸命私に日本語で伝えようとする姿はとても印象に残っています。そんな学生たちと話す時間はとても楽しかったです。大学の先生方とは,ペテペテという乗り合いバスに乗って一緒に帰ったり,休日にはビーチや山に連れていっていただいたりと本当に楽しい毎日を送ることができました。
また,私がインドネシアに滞在中に,マナドという町で,日本語のセミナーがあったので先生に同行させていただきました。マナドは,マカッサルとは違いキリスト教徒が多い町なので,また違った雰囲気のインドネシアを楽しむことができました。マナドの学生と交流をしたり,綺麗な海を観光することもできました。

また,大学の活動以外でもたくさんの体験ができました。
まず一つ目に,「かおり文化園」という日本語の塾を紹介してもらいました。日本に興味があったり,日本に行く予定のある人が,日本語を学んでいるところです。数回見学に行き,授業に参加しました。そこの校長先生や講師・学生の方々とも友達になることができ,幅広い交流をすることができました。
二つ目に,マカッサルの人たちの生活を体験できたことです。スーパーへ行って食料品を買ったり,ショッピングモールに行って服や鞄を買ったり,映画を見たり,レストランに行ったり,コーヒーショップでコーヒーを飲みながらおしゃべりしたりとホームステイならではの生活が楽しめました。ほとんど日本と変わらないのですが,私にとっては何もかもが新鮮でした。なにより,物価が安いので買い物はとても楽しかったです。
私は,マカッサルに1ヶ月間滞在して本当によかったと思っています。インドネシアの宗教や文化に触れ,日本では決してできない多くの体験ができ,おいしい物を食べ,いい人たちに恵まれ,そして,ホームステイの家族には何度お礼をいっても言い足りないくらいお世話になりました。絶対にまた行きたいと思います。そして、これからは日本に来ている留学生をサポートすることで恩返しをしたいと思っています。


谷原 翠 ネパール短期交換留学 (2008年08月18日)

Nepal 留学体験記

谷原 翠

留学の流れ
(2007年)
1月上旬 プルバンチャル大学へ留学申し込み
愛媛大学へ休学(2007年前期)申請
4月上旬 航空券手配
4月22日 松山→カトマンズ
5月上旬 コパカレッジで勉強開始
9月中旬 観光ビザ→学生ビザ 切り替え
11月18日 カトマンズ→松山

留学準備
 海外で生活してみたい!とふと思い,担当教官の戸澤先生に相談した。ネパールのプルバンチャル大学と愛媛大学法文学部の交換留学制度が始まるということで,いい機会だと思い,当時のプルバンチャル大学副学長(Prof.Pradhan)に連絡を取ってもらう。Pradhan先生は快く受け入れて下さり,戸澤先生を通じて交換留学受け入れ証明の手紙を郵送してもらう。
 愛媛大学を半年間休学し,その間ネパールに行くことにした。休学手続きや自分で準備ができそうな交換留学に必要な書類(英文の在学証明書など)は,早めに申請して準備をしておくべきだったと思う。

*学生ビザ申請
 ネパール入国後は観光ビザで5ヶ月までしか滞在できないので,学生ビザの申請をしなければいけない。ネパールImmigration OfficeのHPで必要なものを調べ,各書類を自分で申請したり受け取ったりしなければならないので,早めに準備する必要がある。
必要なもの
・パスポートと期限内の観光ビザ
・ネパールの銀行に$3000の預金とその証明書
・留学先の大学の在学証明書
・ネパール教育省からの手紙
・日本大使館からの手紙
などいろいろ・・・

留学期間
 ネパールへ着いてから10日後に,戸澤先生に紹介してもらったGiriさんに連れられてバクタプルのKhwopa Collegeへ。校長先生と直接面会でき,愛媛大学での専攻に基づいてKhwopaの授業科目を決定。直接指導にあたってくれる先生を紹介してもらう。
 私の参加した学年は,次の進学先へのテストを控えていて,6月~8月はテスト休みだった。でも,もし本人にやる気があれば別の学年の授業に参加することも可能な状況。
 私は,経済学の先生に週に1,2回個別に指導していただくことができ,マクロ経済の概要について英語のテキストと向き合った。しかし,この先生も7・8月は完全休暇に入る。

Khwopa College
 カトマンズからバスで1時間のところにあるバクタプル市の公立学校。(プルバンチャル大学傘下)エンジニアリング,社会学,看護科など,様々な専門がある。
 授業は,毎日同じ時間に自分が選択した科目を受ける。社会学全体で約30科目の授業の内,5つが英語による授業(その他はネパール語)。授業では,先生が教科書を音読し,生徒はそれをノートに書き取るのが一般的。
 一日の授業時間は5コマ(1コマ45分)で,6:30~11:15の午前中。幸い,私の授業時間は午前9時以降だったので,カトマンズからバスで登校しても問題はなかったが,先生とクラスメートからはバクタプルへの引越しをよく勧められた。もし希望すれば,先生方から個人的に住居のアドバイスをもらえた。
 校長先生がすごく力を貸してくださったことで,スムーズに勉強ができたと思う。

生活
 住居は,カトマンズの中心部,ツーリストエリアのタメルにあるアパートを借りた。Giriさんの家でホームステイをしている日本人の方からの紹介。日本人専用のアパートで,バスルームが部屋にあり,家具とTVつき,キッチンは共同。家賃とセキュリティーを考えると,十分な部屋だった。加えて,カトマンズでの生活は,他の地域に比べると格段に便利だったと思う。
だいたいの一ヶ月の生活費は,
家賃(光熱費含む) 6,000円
食費(自炊週5回,その他外食) 3,000円
交通・通信・交際費など 2,000円
ビザ代 4,000円
合計 15,000円
 近年カトマンズの物価は上がってきているといっても,ものすごい贅沢をしなければ,15000円程度で生活できる。インターネット環境については,街中にはもちろん,どんな田舎にも必ずネットカフェがあって,1時間50円程度で利用できるし,日本への国際電話は一般電話から1分40円~。交通費も安いので,週末や休暇中は小旅行にでかけることが多かった。
 ネパールならではの日常の特色は,夏から冬にかけて週2回1日2時間,地域ごとに決められた時間に計画停電がある。冬から春のひどいときには週6回1日6時間にも及ぶ。そのとき,自家発電機を持っていない一般人はロウソクの光で過ごす。
 カトマンズの治安は,それほどひどいとは思わないけれど,時期によっては政治状況が治安の悪化に影響を及ぼすことがある。ネパールでは,政情はまだまだ安定しておらず,よくストライキやデモが起こる。外国人を巻き込む過激なデモやテロは起こっていないので,一応危険な場所や時間帯を避けて行動すれば,基本的な身の安全については問題ないと思う。あとは,一般的な海外旅行と同じように,スリやひったくりに注意しておけばいいと思う。

British Council
 イギリス大使館併設の語学学校。ネパール人でなくても入学でき,日本の英会話学校と比べると格段に安いので(40時間30,000円),ネパール滞在中はずっと通いつめた。様々な年代のネパール人と勉強できることに加えて,中国・韓国からの留学生もちらほら通っているので,交流するのが楽しい。

留学を終えて
 振り返ると,一言では表わせない経験をたくさんできた。
カトマンズ到着から大学での授業を受けるまでは,プライベートから学業のことまですべて人の力を借りなければならない状況に,不安とストレスと申し訳なさがまじって焦りになっていた。特に,大学の校長先生に出会うまで,重要な場面ではすべてGiriさんの手助けなしでは何もできなかった。Giriさんには本当にお世話になり,感謝している。そして校長先生は,お忙しい中いろいろと助けてくださり,その他いろいろな人の助けで,ネパールではありえないほど早く身の回りをかためられたと思う。そのいわゆる準備期間は,前例のない留学だったので,基準となる過程がなく,行く先で出会う人の親切に身をまかせることの不安定さがつらかった。でも,交換留学のシステムが整ってくれば,これから留学する学生にはそういった心配はいらないと思う。
 ネパール人は,自分の感情をストレートに表現する人が多く,クラスメートと打ち解けるのは難しくなかった。その反面,日本の常識では理解できないことも当然たくさんあった。でも,ネパール人の人懐っこさには救われたところもある。
大学の授業が始まると,先生方は授業の選択などにおいて,すべて私の希望を優先して考えてくださり,ありがたかった。英語で授業を行える先生は社会学では2人だったが,そのうちの1人Ms.Neeraは,インド 留学を経験していて英語の発音がきれいだったので助かった。そして日本人の英会話の問題点を理解してくれて,私のレベルに合わせて個人指導をしてくださり,私はのびのびと学ぶことができた。先生から出される宿題の量は多く,経済学の専門用語は電子辞書にもなくて困ったけど,最初のころに真剣に専門書と向き合ったことは,よい体験だったと思う。
 大学が休暇に入ると,British Council(BC)での勉強に力が入ったけれど,1日1時間の授業でどれだけ英語の力が伸びたかは???BCでは,ネパール人や中国人・韓国人のクラスメートと英語でコミュニケーションをとるという貴重な経験ができた。授業は,教科書に沿って行われ,いろんなテーマについてそれぞれの国の立場から意見が交わされるのはすごくおもしろかった。積極的なネパール人のクラスメートからはいい刺激をもらい,イギリス人の先生や中国・韓国人のクラスメートとは国民性や文化的な親近感を持てたので,その環境で臆することなく語学の勉強ができたのは,すごくよかったと思う。
 ネパールへ来て2,3ヶ月のこの頃は,ネパールの生活もようやくスタートを切ったというかんじだった。悩まされていたホームシックも,友達ができ始めたこの時期になくなった。ただ,少し慣れて,気分も上向きになってきたということで,(今思うと)外国にいるという危機感が足りなかった。幸い,私は事件や事故には関わることがなかったけれど,もし気のゆるみで何か起こっても,ネパールでは周囲の対応に限界があることを強く認識しておくべきだったと思う。
 留学生活を半分過ぎたころからは,生活も安定し,充実した日々を送ることができた。この留学で得たものは,たくさんあるけれど,留学初期に何もできない自分と向き合ったことは,大きかった。ネパールという国は,何かをしようとしても計画どおりにいかないことが多い。しかも自分以外の要因がそれを邪魔することが多々あって,それを自分でどうにもできない状況に耐えることや,そんな自分を見つめなおすこと,人のなみなみならぬ親切に触れたことなど,いろんなあたらしい体験ができた。
 英語の学習については,ネパールは私にとって本当にいいところだった。萎縮してしまう英会話も,ネパール人の積極性に後押しされて,ためらうことが少なくなった。カトマンズ市内の学生は,ほぼ英語を話すことができるし,私立学校の学生になれば,そのレベルは高くなるので,英会話に慣れることができた。また,ケーブルテレビでいつでも世界の主要チャンネルが視聴できる環境や,英字新聞が安いことなども大きなポイントだった。
 私は当初から英語の学習に力を入れていたため,ネパール語は単語しか覚えなかったのが心残りだ。もっと滞在していたら,ネパール語もぼちぼち覚えて,もっとネパール文化を知ることができたと思う。あと,当初はヒマラヤ山脈に全く興味がなかったが,留学生活後半になって,青空に白く輝くヒマラヤの山々を見たのは衝撃だった。もっと山に注目しておけばよかったと思う。
改めて振り返ると,初めのころは,衛生的によくない環境の中で,見慣れない風習や人の性質にカルチャーショックを受け,ネパールにいながらネパール人や文化を受け入れられず,関わりを避けようとしていたように思うけれど,それは時がたつにつれて徐々に変化していった。気がつけば,ちょっとした潔癖症が治っていたり,クラスメートと友情を結んだり,山に見とれたり,ネパールの行事に参加したりと,自分の中で確実に変化していたものがあった。そうして慣れた頃に帰国することになったのは,本当に心残りだったけれど,いつかまたネパールに来て,今度は仕事ができたら幸せだなと思う。今の私の目標になった。
交換留学は,戸澤先生やPradhan先生をはじめ,いろんな人に支えられて実現したもので,留学を終えた今,本当にみなさんに感謝している。

重見 浩子 ネパール短期交換留学 (2008年08月18日)

ネパール短期交換留学

重見浩子

目次
1. ネパール
2. 短期交換留学
3. 異文化体験
4. ネパールの魅力
5. 愛媛大学とカトマンズ大学,ネパールの大学の今後

1.ネパール
ネパールは中国とインドの二大大国に挟まれた小さな国である。国土面積は147平方Kmで日本の約3分の1しかない。ネパールの高度は南部平野の70mから北部の世界最高峰エヴェレストの8848mというように大きな差がある。地形的に山岳地域(15%),丘陵地域(68%),タライと呼ばれる平原地域(17%)と3つの異なる地域に分類することができる。人口は約2700万人で,その8%は山岳地域,47%は丘陵地域,45%はタライ平野で生活している。 ネパールではネパール語が公用語とされているが,それ以外に先住民族のネワール語を始めとして70以上の言語が話され,さらに60以上の民族が生活している。
ネパールの経済水準は世界水準から見るととても低く,後発開発途上国の1つである。ネパールの80%以上の人は農村地域に住み,農業に従事している。ひとり当たりの国内総生産(GDP)は290$で,人口の38%は貧困生活を余儀なくされ,また識字率は60%に留まっている。2005年以降,政治不安のため,これまで好調だった主要サービス産業である観光業に深刻な影響を及ぼしている。
現在ネパールでは政治的に不安定な日々が続いている。1996年以降,王制打倒,世俗国家,インドとの不平等な関係の改善などを掲げて,ネパール共産党からマオイストが分派し武装闘争を開始した。しかし,2005年の国王による政権掌握をきっかけにマオイストと政党は連携し,国王に対して抗議行動を開始した。その後,2006年4月6日,民衆を巻き込んでの全国規模で抗議集会やゼネストを展開した。国王はこれを受け下院の復活を宣言し,政党マオイストもこれを受け事態は収拾した。しかし,制憲議会選挙の実施が2度延長され,未だに時期は決定されていない。今後も政治的に不安定な日々が続きそうだ。
1970年代以降,日本政府はネパールに対しODAでの援助活動を行なってきた。その活動内容は,農業・医療・教育・環境保全・道路や上下水道の設備建設の分野で,経済と生活向上のために現在も続けられている。

2.短期交換留学
今回,愛媛大学からカトマンズ大学に短期交換留学生として在籍し,社会経済に関する調査を行った。
カトマンズ大学はカトマンズ市内から30kmはなれたドゥリケルにある。ドゥリケルは過ごしやすい気候とヒマラヤの絶景ポイントで知られる。緑が多く静かなため,勉強しやすい環境である。1991年に創立された新しい大学で,高い教育水準と質の良い教育システムということで,とても人気の大学である。カトマンズ大学では学生を受け入れるだけなく研究者の受け入れも行っており,教育や研究・開発など幅広い事業を展開している。ネパール国内からだけでなく,海外からも信頼され期待されている。

運動場と男子寮               セントラルオフィス前

<社会経済の影響調査>
日本の無償資金援助でカトマンズ盆地から南部タライ平原までの道路が建設されている。ネパールの首都カトマンズは経済・政治の中心であり,ネパール最大の市場がある。現時の主要道路では迂回路であるために行き来に時間がかかり,さらにカーブが多く視界が悪いため,交通事故も多発している。こういった事情,また地元住民の生活向上の観点から,日本政府はネパール政府の要請を受け1996年から援助を開始した。
交通網の発達は社会経済の面で大きな役割を果たしている。大きな経済効果がもたらされると期待されるが,それと同時に住民に対する悪影響も考慮する必要がある。さらに長期的で広範囲な視点で開発援助は進められていく必要がある。経済効果や生活向上などの好影響と環境破壊や社会経済面での悪影響の,両方の均衡が重要なポイントである。
シンドゥリ・ロードは4つの工区に別れており,第1・4工区はすでに完成されており利用されている。現在第2工区が建設中である。今回の調査では,2005年に完成した第4工区の出発地点であるネパールトックに焦点を当て住民に聞き取り調査を行なった。
その結果,緩やかに生活が変化していることが明らかになり,そのため地域住民はその変化と今までの生活様式を合わせやすい。しかし,道路側で生活する住民と道路から離れた川岸で生活する住民との間に大きな差があることも明らかになった。すぐ近くに住む住民だけでなく,道路を利用するすべての人々に有効であるように考慮されるべきである。現時点では目立って悪影響が見られることはない。しかし,それはネパールトックで道路が途切れていること,新しい道路だという要因が考えられる。シンドゥリ・ロードは現在進行中の事業で完成には8~10年はかかると言われている。全開通後,車両や人の行き来はさらに増え,現在と比べて大きな変化が見られるだろう。その時にこそ,住民に対する悪影響は最小限に,そして現在よりも慎重に考慮されるべきである。

カトマンズ大学の学生達と        第4校区の始発点:ネパールトック

3.異文化体験
ネパールではすべてが神様である。太陽や水,土を始めとして道端に転がっている小石や草も神様なのだという。そのため「ネパールでは国民よりも神様の数が多い」と言われている。ネパールではヒンドゥー教と仏教が共存しているのが特徴である。人々は毎日欠かさずお祈りし,どこへ行っても神様を大切にしている。日常生活で宗教とあまり関係の無い生活を送っていた私は,ネパールでは毎日が異文化体験であった。

ダルバート(ご飯,豆スープ,野菜,漬け物) カジャ(ネパールのおやつ:干し飯,豆など)

<結婚式>
ネパールでは「赤」が幸福の色とされ,結婚式やお祝いの席には必ず女性は赤いものを身に付ける。そして,耳飾りは金製で豪華である。民族やカーストによって結婚様式も異なる。しかし,普段質素な生活をするネパール人だが結婚式となると,とても豪華で盛大な式を挙げる。お酒を飲み,ご馳走を食べ,踊ったりおしゃべりをしたり,の繰り返しが何日か続く。お祝いの席など楽しめる場面で,思いっきり楽しんでいるネパールの人々の明るさがとても素敵だった。

民族衣装を着た花嫁       装飾された車/祝福する家族

家族から祝福される花嫁と花婿          儀式の場

<ブッダ・ジャヤンティー(お釈迦様生誕日)>
1768年ネパール統一を果たしたプリティビ・ナラヤンはゴルカ出身である。ゴルカ兵は勇敢で世界でも有名である。
ゴルカから数キロ離れたところにKOUDI村はある。ブッダ・ジャヤンティーの特別な儀式を見せてもらうために友人の実家を訪問した。ネパールでは電気のない村はたくさんあり,KOUDI村もそのうちの1つである。しかし,KOUDI村では半年後には電線が運ばれてくるということで,電気のないKOUDI村で儀式を見る最後の機会だった。
村で選ばれた少女2人は一晩中踊り続け,その儀式が3日間続いた。自然に涙が出てくるそうで,泣きながらずっと踊り続けていた。村の女性の中には突然体が震えだす人や泣き出す人などもいて,その他の住民はただ見守るだけだった。
この儀式のために遠くから見物に訪れる人も多いという。昔から語り継がれている伝統民謡がこの儀式の特徴である。このためにカトマンズ市内から一日かけて里帰りしている人も多かった。しかし,この民謡を歌える人が年々減っているそうだ。この儀式をいつまで続けられるかどうか心配だと村人は語っていた。KOUDI村では若者が村を出てカトマンズ市内に働きに行っているという。これはKOUDI村だけに限ったことではないが,変わっていく時代と伝統を守ることのバランスをとるのは難しいことだと改めて実感した。

踊り続ける少女達           共同水道

KOUDI村の人々             電気のない村での生活

<祭り/ダサイン,ティハール>
毎年10月中旬から11月上旬までダサインとティハールというお祭りが立て続けに行なわれる。10月頃雨期も終わりヒマラヤも見えるようになってくると,ネパール全体がお祭りムードに包まれる。

ダサイン:ネパール最大のお祭りで14日間行なわれる。戦いの女神ドゥルガが魔物に勝利したことを祝うお祭りで9日間には女神の勝利を願って水牛やヤギなどの生贄が捧げられる。10日目がメインの日となり一家の長老から祝福を受ける。ダサインでは家族や親戚で集まり,派手にお祝いをする。

マチャプチャレ(魚の尾)        湖とヒマラヤ リゾート地ポカラにて
ティハール:光の祭典とも呼ばれ,街中がろうそくや電球でライトアップされ,とても美しい祭りである。ネパールの先住有力民族ネワール族の新年のお祭りでもある。富と繁栄の女神ラクシュミが家に来てくれるように玄関から部屋までの道のりを光で灯して迎え入れる儀式を行う。また,女性の守護力を男性に与えるために姉妹から兄弟へ祝福のしるしを送る儀式など,いくつかの祭りが合わさって行われる。
気候もよくヒマラヤも鮮明に見えるこの時期はお祭りに最適で,ネパールの友人たちと心からお祭りを楽しむことができた。

ライトアップされた街        マンダラとお供え物 ネワールの友人宅にて

ネパールの食事ネパール式に調理された魚と一緒に マンダラを描く 異文化体験

4.ネパールの魅力
ネパールは小さな国であるが,その小さな国には多くの世界レベルのものがある。
青い空の中に真っ白に輝いてそびえ立つヒマラヤの山々には毎日感動していた。乾期にしかきれいで鮮明に見えないのが残念だが,だからこそより美しく見えるのかもしれない。
<トレッキング/ランタン谷>
ランタン谷はカトマンズ盆地から比較的近くで簡単にいけるトレッキングポイントである。普段から体力には自信がなく,また慣れない高度ということで,高山病にかかってしまい,3000mを超えて辿り着くことはできなかった。しかし,その途中で見た草花の美しさや,新鮮な野菜で作られたダルバートの美味しさを想うと,それでだけで十分である。次回はぜひエヴェレストを間近で見たいと思う。

ランタン谷 友人から         山でロッジを経営する女性と


白い花 2800m地点で       採れたての野菜でできたダルバート

<ルンビニ>
ブッダの生誕地と知られるルンビニには,毎年仏教徒だけでなく多くの人々が訪れている。ネパールの南部でインドとの国境付近に位置しており,山や丘もないので,とても広々としている。また車の行き来も少ないので,ルンビニの街全体が緩やかで静寂としていた。現在ルンビニでは開発プロジェクトが進行中である。1978年に今治出身の建築家丹下健三がマスタープランを作成し,現在もこの計画に基づき整備が進められている。また,仏教の広まっている国々からさまざまな寺院,仏塔などが建設されており,完成にはまだ時間がかかりそうだった。1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

平和の灯火       ブッダの一生を壁に描いた寺院

この菩提樹の種から世界中に広がったという   ブッダとロータス(蓮の花)

5.愛媛大学とカトマンズ大学,ネパールの大学の今後
現在,愛媛大学はカトマンズ大学を始めとするネパールの5つの大学と大学協定を結んでいる。愛媛大学から卒業したネパール人も多く,また市内に愛媛大学サテライトオフィスが設置され,両国の大学レベルでの親交が深まりつつある。今回私の滞在中には利用する機会は少なかったが,今後は日本語教室の開催や両国の留学生への支援事業が実施されることになっている。
私は今までに前例のない状況で交換留学生としてネパールに滞在した。研究など学術交流は活発に行なわれているが,学生や研究者の交換留学は始まったばかりである。文化・生活習慣・宗教など日本とは全く異なる生活習慣に戸惑うことばかりであったが,愛媛大学関係者をはじめとするネパール人,現地の日本人に助けられてきた。そして,短期間ではあったが貴重な経験ができ,また一生の想い出を作ることができた。これからはさらにサテライトオフィスから愛媛大学の情報を発信し,ネパールの大学との友好交流の場として活用されることを願っている。また,私なりにこれからもネパールの人々,ネパールという国や文化と付き合い続けていきたい。

友人との大切な思い出

三瀬 史 ネパール短期交換留学 (2008年08月18日)

ネパールでの30日間

法文学部人文学科 2回生 三瀬史

 今回,私は愛媛大学の協定校である,ネパール工科大学への交換留学生として春休みのひと月をネパールで過ごしました。
 日本から丸一日をかけ,首都カトマンズにある,カトマンズ空港に到着した最初の日,独特の町の風景とほこりっぽさに外国を感じました。私は海外に行くのが初めてで,不安でいっぱいでしたが,そんなこともホームステイ先の家族に会った瞬間に吹き飛んでしまいました。そのホームステイ先は,ネパール工科大学の学長宅でしたが,家族全員,私を心から温かく迎えてくれ,最初に感じていた不安は期待へと変わりました。
 到着後,しばらくガソリン不足で大学へのバスが出ず,大学へ通うことができませんでした。そこで,家族と街へ買い物・食事に出かけました。そこで感じたのは貧富の差と,発展途上国の現状です。ネパールには,未だカースト制が消えておらず,名字を名乗るだけで大体の位が分かるらしく,その身分は一生変わらないものです。町には,物乞いをする人や,道端に捨てられたゴミをむさぼる人,飢えて死にそうになっている人,たくさんの人を見かけました。その度に,心は疼きましたが,何もできない自分がいました。また,不足しているのはガソリンだけではなく,水や電気も同じで,1日に8時間の停電と,急な断水を経験しました。夕方ごろになると外はとても冷え込み,停電のため真っ暗な景色を見て,街で出会った家のない人たちのことが気にかかる毎日でした。
 到着して5日程経って,ようやく大学へ通学できました。大学ではすべての教員,スタッフ,生徒が優しく接してくれ,毎日学校へ行くのが楽しみでした。工科大学だったので,工学系の授業が多かったのですが,現地の人々はどの授業も英語で受けていました。そこに日本との違いを感じました。そのせいか,どの生徒も英語が流暢で,大変驚きました。また,それが自分の英語力向上にもつながったのでとてもいい環境でした。一方で,スタッフの中には,学校に行っていないため,読み書きができないという人もいて,最初は意思の疎通に困りました。しかし,彼らには,それを学ぶ手段がないため,私が必死でネパール語を独学し,最後のほうには,かなり打ち解けることができました。
 そのほかにも,偶然ホストファミリーの親戚の結婚式があり,参加させてもらいました。親子の涙や,兄弟たちの贈り物,全員で踊ったダンス・・・・家族の絆の深さや,しきたりを大事にする姿勢に感動しました。ネパールでは,日本のような核家族は少なく,何世帯もの単位で生活しています。そこに魅力と温かさを感じました。
 日本から出発するときは,私からなにかネパールの方のためにできたらいいなと思っていましたが,実際は,私がたくさんのことを学ばせてもらうばかりで,何もできなかったように感じます。そこで,次に行く時には,ネパールで知り合ったボランティア団体の方たちのようにしっかりと計画を立てた上で,学生という立場ではなく,奉仕者の一人として,ネパールへ恩返しができたらなと思っています。
 この春,人生の中で,最も貴重な体験をさせていただきました。
お世話になった愛媛大学の先生方,ネパールのすべての方に,心から感謝しています。

増田 寛子 中国内蒙古農業大学留学体験記 (2008年02月22日)

留学最前線 ―臭柏の光合成生産―
「中国への留学と,乾燥地に生育する植物・臭柏の光合成生産に関する研究紹介」

森林資源学生物研究室
増田 寛子

 こんにちは,農学研究科森林資源学生物研究室の増田寛子です。私は今,中国の内蒙古農業大学に留学して勉学・研究に励んでいます。留学期間は1年で,今は半年終了したところです。本日はその中間報告ということで,中国での暮らしや研究について,簡単に紹介していきたいと思います。
 私は大学に入学するまで,留学について考えたことは一度もありませんでした。大学入学後,とあるきっかけで中国内モンゴルを訪れ,そのフィールドで卒業論文を書くことになりました。修士への進学を考えたとき,もっと長く中国に腰を据えて勉強したいなと思うようになり,修士への進学とともに,内蒙古農業大学への留学を希望しました。この大学は,私が以前中国を訪れた際お世話になった大学で,ここに進学することは,卒業研究を継続して行うことができると考えていました。
 ここで,私の卒業研究について紹介します。砂漠化が著しい内モンゴル自治区毛烏素(もうそ)沙地において,緑化に有用な植物として臭柏(しゅうはく)があります。2000年頃から,この植物の基礎情報を明らかにするために,植物生理生態学的な研究が行われてきました。その一環として,私はどれぐらい光合成を行っているのかという,光合成生産量に関する研究を始めました。その結果,臭柏の特徴的な形態である地面を這う匍匐(ほふく)構造は,光合成生産を行うにあたり非常に有効であるということが示唆されました。毛烏素沙地のような乾燥地は,植物が生育していくなかで厳しい環境であるといえます。夏の高温・乾燥や冬の低温など,これらを考慮しなくては,植物の光合成量を正確に把握することはできず,生態学的特徴を捉えることも困難といえます。そこで留学している今では,卒業研究の延長として,光合成量の季節変化について研究しています。この結果は,修士論文としてまとめるつもりです。
 留学期間はあと半分残っています。今後とも,私の勉学・研究が発展できるよう,皆様に温かく見守っていただけたらと思います。
200802_1

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