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竹下 早苗 韓国語韓国文化研修(韓瑞大学校) (2014年02月20日)

今回の韓国文化研修では、韓端大学の皆さんに毎日朝から晩まで大変お世話になりました。今まで一度も日本から出たことのない私は、自分で参加を希望しておきながら不安でしょうがなかったのですが、皆さんにサポートしていただき、安心して8日間を終えることができました。すごく気をつかってもらっているなあ、と申し訳なく思うこともしばしばありましたが、本当に感謝しています。おかげでこの研修では、普通の観光旅行では味わえないだろうたくさんの体験ができて、参加してよかったと思えました。 今回の研修は、韓国の歴史的文化と現代の文化の両方を知る、というのがテーマになっていて、8日間の間に多くの施設を回りました。その中でも特に韓国民俗村の見学が記憶に残っています。 韓国民俗村は、野外博物館として作られた施設で、朝鮮時代後期の伝統家屋が移転復元され、伝統文化を紹介する資料館のようなところもありました。ドラマなどの撮影も行われる場所のようで、作品の衣装を着た女優さんのパネルが置いてあったりもしました。また、そこでは伝統婚礼などの行事の実演なども行われていました。すべては見学できなかったのは残念ですが、いろいろ勉強になりました。 いろんな施設の見学からもいろいろなことを学べましたが、現地の学生さん達との交流の中でわかったことも多くありました。 些細なことですが個人的に印象深かったのが写真です。韓国人はよく自分の写真を撮る、というようなことを聞いたことはありました。もしかしたらこちらに気を使ってくれたからかもしれませんが、現地の大学生さんは、本当に何回も、ことあるごとに写真を撮ろうと誘ってきてくれました。私自身が写真嫌いで普段あまり撮ろうとしないこともあって、研修が始まってすぐのころは、「また撮るの!?」と少し驚いてしまいました。また、班で集まる際に、約束の時間になっても日本人しかいない、というエスニックジョークで聞くような体験ができたのも、なかなかいい思い出になりました。 現地の学生さんたちと共に生活する中で、トイレや食事、などの基本的なことにも様々な違いがあり、興味深く感じられることがたくさんありましたが、一方で、戸惑ったり、どうしても慣れなかったりしたこともありました。そのときはつらいばかりでしたが、今は外国に行って異なる文化、価値観に触れるというのはこういうことなのかなと思っています。そのとき私は、人がそれをしているのを見るのも不愉快だと感じていましたが、それは自分の価値観の押し付けだったかと思います。その価値観自体は受け入れられなくても、その多様さは認めなくてはならないとおもいました。 また、一度離れてみることで日本のことを、自分なりに見つめなおすきっかけにもなりました。今後の生活の中でもこの研修で感じたこと、学んだことを忘れずに過ごしたいと思います。 最後に、今回の韓国文化研修を援助して下さいました、愛媛大学校友会、法文学部後援会の方々にお礼申し上げます。

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清重 綾乃  2012台湾留学(高雄大学) (2013年06月4日)

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赤い星印が台湾の首都台北市、そして黄色い星印が高雄市です。 ※http://www.freemap.jp/から引用

1.留学に至ったいきさつ 
 私は高校生の時から中国語を学ぶために留学したいと思っていました。場所は中国語を学ぶのであれば中国かな、と漠然と考えていました。大学一回生からいろいろと留学情報を調べていましたが、なかなかいいプランにめぐり合えず悩んでいるとき、たまたま国際連携推進機構の方から台湾の交換留学プログラムがあるということをお聞きし、いろいろなことから中国と台湾どちらにするか迷いましたが、行ったことがなく、親日家が多いと聞いていた台湾が一体どんな場所なのだろうと興味がわき、台湾に留学することに決めました。

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2.中国と台湾で使われている文字の違い 
 中国も台湾も話されている言語は中国語ですが、実は少し違う部分があります。まず大きな違いはその表記方法です。中国では簡体字と言う文字が使われています。名前のとおり、画数の少ない、簡単な漢字です。一方台湾で使われている文字は繁体字という文字で、とにかく画数の多い漢字です。私は留学する前は簡体字で中国語を学んでいたため、新たに繁体字を学ぶことに大きな抵抗を感じていました。しかし実際にこちらに来て学んでみると、日本で使われている漢字と同じものも多く、慣れると全く支障はありませんでした。
 二つ目に違うのは発音の表示の仕方です。中国や日本で学ぶ中国語の発音表記はピンインというアルファベットを使った、外国人にもある程度理解のしやすい表記方法です。一方台湾では注音(日本で言う50音のようなもの)というものが使われています。台湾人は皆これを知っており、台湾人に発音を聞くとたいてい注音を書いて説明してくれます。逆に言うと、ピンインが分かる台湾人はあまりいません。高雄大学での中国語の授業はピンインで行われますが、正しい発音を学ぶには注音のほうが断然分かりやすいという意見が多いので、台湾で学ぶ際は注音・ピンインの両方が理解できているとよりよい学習ができるかもしれません。

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3.台湾 高雄市、そして高雄大学へ  
 皆さんは高雄市という場所を聞いたことがありますか?台湾というと多くの人が台北市を思い浮かべるかもしれません。実のところ、私も留学することになってはじめて知りました。高雄市は台北市に次ぐ台湾第二の大都市で、台湾南部の中心地でもあります。とても温暖な気候で、12月でも冬というよりは秋にだんだん近づいてきたな・・といった感じです。生活の中では、気温差が大きいところが少し大変でしたが、寒いのが苦手な私にとってはとても過ごしやすい環境でした。高雄大学はその高雄市のなかでも少し田舎のほうにあります。バスとMRT(高雄捷運という高雄の地下鉄)を乗り継ぐと街中にいけますが、少し時間がかかります。自転車で移動すれば、周りには大型スーパーや電気屋さん、そして数多くのレストラン・食堂があるので、それほど不便ということもありません。 高雄大学は2000年に開校した、台湾でも比較的新しい大学です。その面積はとても大きく、なんと愛媛大学の城北キャンパスの約8倍あるそうです。学部は人文学部、理学部、工学部、法学部、管理学部(経済学部)、生命科学部などがあります。私はその中の人文学部、東アジア言語学科に在籍しています。この東アジア言語学科には日本語学科もあり、多くの学生が日本語を学んでいます。

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4.台湾の印象 
 台湾は聞いていたとおり日本のことをとても大事にしてくれる人々が多くいました。街中は本当に外国なのかと言うほど日本のものであふれており、たいていの日本のものはこちらでもそろえることが出来ます。 
 台湾に着いたとき、こちらで私たち日本人留学生の生活面でのサポートをしてくれるチューター学生がいるのですが、私の担当をしてくれている女の子と話をしている中で彼女は3.11の大地震のときの話をしてくれました。高雄大学の日本語学科の学生たちは3.11のとき、毎日大学内で募金活動をしてくれていたそうです。彼女はその話をしながら涙を流し、日本のことをとても心配していたといってくれました。そのとき私は日本から離れたこの異国の地で、日本を想って涙を流してくれる人がいるということになんだかとても胸が熱くなったことを今でも忘れられません。

5.台湾での学習について 
 私は人文学部、東アジア言語学科に在籍しているので、こちらではこの学科の授業を中心に現地の学生と一緒に受けています。具体的な授業例でいうと、日本社会文化、日本語通訳、韓国語などです。これらの授業はすべて中国語で行われます。日本社会文化はその名の通り日本社会・日本文化についての授業です。この中で私たち日本人留学生はそれぞれの出身県に関する発表を中国語で行いました。 
 日本語通訳は日本語を聞き、その場ですぐに中国語に翻訳して発表するというトレーニングや、班ごとに日本のニュースやバラエティ番組などの内容を中国語に直し、同時通訳するという発表を行いました。この班活動では台湾人の学生二人と一緒に班を組み、中国語に直す部分に関しては台湾人学生が担当し、彼らが理解できないニュアンスの日本語について私が説明をしました。普段当たり前に使っている日本語ですが、実際に説明をすると、とても難しいものだなと感じました。自分の学科以外の授業も受けることができるので、このほかにも共通教育や西洋語学科の英語の授業を3つ受講しました。これらを受けてみて自分の学科以外の授業をとることで、出会える台湾人やそのほかの留学生の幅もぐんと広がりました。 
 また、今年は日本人留学生の数が多く、授業で一緒になることが多かったので、あえて日本人学生のいない授業をとりました。はじめは少し不安でしたが、どの先生も歓迎し、自己紹介の時間を特別にとってくれました。自分から周りの学生たちにわからないことなどを聞いていく中でだんだんと友達もできていきました。中には独学で日本語を学んでいるという学生も多くおり、毎週日本語の質問をしてくれました。留学生はやはり同じ国同士の人間で集まるということがどうしても多くなってしまいます。その中で、日本人留学生が(できれば留学生自体が)自分だけという授業をとるということはとても重要だと感じました。日本人留学生だけで固まって話していては台湾人学生も話しかけにくいところがあるようです。また、自分だけでその場その場での対応をしなくてはいけないので、中国語の勉強にもなったと感じています。

6.サークル活動について 
 台湾に来て一ヶ月が過ぎたころ、サークルに参加することにしました。サークル名は竹風弦語国楽社団(中国語で社団はサークル・クラブの意味を表します。)です。これは台湾の伝統楽器を使って演奏をする団体で、私は数多くある楽器の中のひとつ、二胡という楽器を弾いています。二胡は二本の弦を、馬の尾の毛でできた弓で弾く楽器です。もちろんメンバーはすべて台湾人の学生なので、中国語の勉強にもなり、かつ二胡の練習ができるということで、思い切って参加することにしました。始めは少し緊張しましたが、部員の皆はとても親切で、楽器のことだけでなく、台湾の文化についても積極的に教えてくれます。私の分からない中国語があればすぐにノートに書いて教えてくれます。「日本ではこれはどうなのか。」とよく聞かれ、日本のことについても関心を持ってくれているようです。メンバーに恵まれたということもありますが、このような文化交流ができることもサークル活動に参加するとても大きなメリットのひとつだと思いました。

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 学期末には4日間、朝から夜まで大学で楽器の練習をするという冬休み合宿がありました。ずっと課題曲を弾き続けるのには、なかなか体力がいりましたが、練習の合間にはメンバーでご飯を食べにいったり、アイスブレーキングをしたりして交流を深めることができました。そしてこの合宿後にメンバーと一緒に台東というところへ旅行に行きました。台東は台湾の東側に位置する温泉の有名な場所です。高雄から台東までは汽車でおよそ3時間かかります。汽車の大きな窓からは外の風景が楽しめました。窓からは海も見えたのですが、台東に近づいたとき友人が「アヤノ、この海はさっきみた海とは別の海なんだよ。」と教えてくれました。高雄を出て少し経ったときに見た海は南シナ海、そしてこのとき見ていた海は太平洋でした。二つの海は違う色をしていて、台湾に来なければ出会わなかったメンバーの皆と一緒に、この風景を見ているということに、言葉にはできないとても幸せな気持ちになりました。夜は台東の温泉を楽しみました。台湾では水着を着て男女ともに同じ温泉に入ります。日本の裸で入るという文化に対してはとても驚いていました。台湾にも日本と同じく足湯があり驚きました。一泊二日という短い時間でしたが、とても忘れられない旅となりました。今後も引き続き二胡を通して、この文化交流を深めたいです。

7.日本語の授業 
 台湾での生活を始めて3ヶ月が経った頃、日本語学科の学生に日本語を教えるという機会を頂きました。私は4年生中心のクラスを担当しました。毎週2時間半程度の授業内容を考えなくてはいけないので少し大変ですが、もともと日本語教育に興味があった私にとって貴重な経験になっています。具体的な授業内容は、日本語の新聞記事や漫画を読んでディベートをしたり、語彙を増やしたりしていくというものです。前期での授業は手探り状態で行ったため、改善すべき点が多く残っており、これらを見直し、後期はよりよいものにしていきたいです。 
 この日本語の授業に限らず、日本語を学びたい学生は多くいるので、日本人が日本語を教え、台湾人に中国語を教えてもらうといった相互学習・言語交換なども盛んに行われています。これは私たち日本人留学生にとって、日本語学習者の多い台湾に留学したことの大きなメリットのひとつだと感じました。

8.愛媛県と台湾の交流事業 
 台北には松山空港という名前の空港があります。また、台湾にも多くの温泉があり、現地の人々に親しまれています。そして、台湾には大手自転車メーカーのGIANTがありますが、愛媛県にはすばらしいサイクリングロードである、しまなみ海道があります。多くの共通点があり、また、地理的にも近いことなどから愛媛県知事が台湾を訪問したり、台北のデパートで愛媛産みかんを販売したり、愛媛県は台湾との交流事業をとても積極的に進めています。そして2011年には台北市の北投温泉と道後温泉は友好協定を結び、姉妹温泉となりました。また、2012年にはGIANT社長が愛媛県を訪問し、しまなみ海道で愛媛県知事の中村時広氏とサイクリングをしました。まだ実現はしていませんが、台湾と愛媛県との直行便就航への準備も進めています。これにより、愛媛県と台湾との交流はより盛んなものになるだろうと、とても期待しています。

9、留学を半年終えて 
 1年間の留学の内、半年が終わってしまいました。あっという間でしたが、一日一日がとても充実していました。台湾に来て、国家間の問題を超えた、人間同士のつながりがどれだけ大切かを、ひしひしと感じました。ちょうど私が台湾に行った頃、尖閣諸島の問題が起きました。何か影響があるのではないかと少し心配しましたが、意外にも何も起こらず驚きました。高雄大学には多くの中国人留学生がいますが、中には、将来日本に留学しようと日本語を一生懸命勉強している学生もいます。日本のテレビの報道からでは一面的にしか見えませんが、自分自身の目で見なければわからないこともあります。これらも留学の意義のひとつなのではないかと思います。そして、台湾で日本がとても愛されているということを、留学して初めて知りました。台湾の多くの人々は日本に関心を持ってくれています。東日本大震災の時も、まるで自分の国かのように、日本に大きな援助をしてくれました。また、台湾人だけでなく、周りの外国人留学生にも日本に興味を持ってくれている人は多くいます。残りの半年間は、日本のことをもっと知ってもらえるよう、日本のことを伝えていければと思います。そして私自身も、より深く台湾のことを知りたいと思っています。今後は学生だけでなく、地域の方々とも交流したいです。

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藤田 悠里 2012アメリカ留学(ルイジアナ大学モンロー校) (2013年02月28日)

<大学紹介>

 私は2012年8月末から、アメリカ合衆国、ルイジアナ州、ルイジアナ大学モンロー校(University of Louisiana at Monroe:以下、ルイジアナ大学またはULM)で交換留学生として勉強しています。まず、アメリカ・ルイジアナ州の特徴としては、テキサス州を左にミシシッピ州を右に位置しています。気候は比較的一年を通して暖かい気候が続く地域です。ハリケーンや大雨などに多々見舞われることがありますが、夏の間は晴天が続きます。最も栄えている市(街)は、ニューオーリンズといい、ジャズ音楽の発祥地と言われています。私は、ルイジアナ大学で、日本の愛媛大学での専門と変わらず、教育人間発達学部・中等教育を専攻しています。ルイジアナ大学はルイジアナ州北部のモンロー市にある州立大学です。教育人間発達学部、経済経営学部、芸術科学学部、健康科学学部、薬学部の5つの学部を有する大学です。モンロー校は、以前から東南アジアとの交流を深めたいと考えており、また、愛媛大学では、欧米の連携校を求めていました。2校の目的が一致し、5つの学部のうち教育人間発達学部と協定を結ぶことになりました。今回、交換留学の協定が結ばれたということで、以前から留学に興味があったため、この機会しかないと思い、選考に応募しました。日本の大学システムとは大きく異なり、アメリカ・ルイジアナ大学では、8月末から新学期が始まり12月中旬には前学期が終わります。後学期は1月中旬に始まり5月中旬まで続きます。その後、7月中旬までは、夏の集中講義が数回に分けられて開講されています。
 ルイジアナ大学モンロー校は、比較的アメリカの州立大学の中ではあまり大きいキャンパスを所有していません。それでも、日本の大学と比べて球技場や水泳場、アクティビティセンターなど、大学内の施設にはとても広く敷地を使用しています。キャンパスの広さ自体に慣れることに少し時間を費やしました。キャンパス内が広いため休憩時間も各時間20分以上あります。
 学内の施設についてですが、学校図書館は8階建てとなっており、1階手前には図書の検索やインターネット使用のためにコンピューターが50台以上設置されています。ルイジアナ大学生であれば、印刷やコピーは一人各月に150枚まで無料で使用できます。一階奥側にはWriting Spaceといい、授業の課題である小論文や評論文を学生が書くときに、アシスタントが一緒にアイディアや英文法を考えてくれるスペースになっています。私も、英文法の授業を前学期に受けていたときに、何度も足を運んで文法を訂正してもらい、もっと読者の関心を引く言葉や内容の流れを一緒に考えてもらいしました。2階から6階にかけては、図書はもちろんコンピューターや、個人学習机、共同学習ルーム、グループ学習机などが設置されています。7階・8階はルイジアナ大学学長、副学長他、会議室用に建てられています。
 学内には、他にもスターバックスやコンビニエンスストア、教材に使われている教科書や文具などが置かれている書店、学生食堂、7種類の飲食店が集まった売店、銀行、学生が自由に使用できるアクティビティセンター、テニスコート、スイミング場、球技場などさまざまな施設があります。学生寮は学内に設置されており、とても便利で勉学に励みやすい環境となっています。ここで感じる日本の大学との違いは、学内全体が学生中心に出来ているということです。図書館の開館時間は、平日月曜日から木曜日の間、朝7時から夜中の2時夜遅くまでです。また、学食や売店も朝の8時から夜の8時まで開いています。大学側は、学習をする場を出来るだけ提供しようと試みていますし、学習をする場所は学生だけでなく、教授や職員の方々も使用できるようになっています。学内で過ごしていると、勉学も運動も好きなときに好きなだけできる環境です。
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<モンローでの生活>

 前学期は、私はアメリカ人の学生夫婦とハウスシェアをしていました。ハウスシェアとは、一つの家を部屋に分かれてキッチン、リビング、バスルームを共用することです。私にとって初めてのハウスシェアだったため、全く知らない人と家を共有することは、少し不安な気持ちと新しい生活が始まる期待でいっぱいでした。彼らの年齢は一つ上で、年が近かったためかすんなりと打ち解けることができ、毎日の暮らしがとても楽しかったです。彼らと生活をする上で感じた習慣の違いは、世間一般的に知られているお風呂に入るタイミング、どんな時に靴を脱ぐか、その他に気候の感じ方、隣人とのつき合い方など様々です。彼らに尋ねたところ、お風呂を入るタイミングは人によって違うこともありますが、ほとんどの人が朝に入るそうです。また、バスタブもとても浅く作られており、ほぼお湯につかる習慣はないと聞きました。家に入るときに、靴を脱ぐ習慣が日本であることを伝えると、「どうして?家の床は汚いよ?」と言われました。私は、できるだけ誤解がないように日本の習慣を説明しました。日本で靴を脱ぐ習慣があるのは、昔日本の気候が温暖気候にあり、また農林が盛んだったため、足や靴が汚れていることが多く、家の中を綺麗に保ち清潔な環境で生活をするためです。彼らにとっては、靴を脱ぐということは生活をしている上で滅多にないことなので、あまり慣れておらず、少し変な感覚になるそうです。気候の感じ方に関しては、南部に属しているルイジアナ州だからこそか、少し肌寒いと感じる時であっても半袖半ズボンで過ごしている人が多く、夏の間、外は猛暑で室内は冷房が度を過ぎるほど効いていて極寒でした。彼らは、モンローの気候の変化が激しく著しいため、少しの変化では動じないと言っています。隣人とのつき合い方ですが、私が住んでいた家は、隣の家とドア一つで繋がっており、冷暖房機を共有している状況です。そのため、隣人の方とも家族のように接し、週末にはご飯に出かけるのが習慣になっています。日本では、治安が悪くなり始め、隣人間での問題などが多発したため、あまり隣人とコミュニティを作らなくなっているのに対し、モンローでは近所付き合いを大切にし、例えば、隣人のお子さんが結婚すると一緒にお祝いをしたり、お互いに問題が発生すると助け合ったりという関係を築き上げています。
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 大学での生活は、愛媛大学に通っているように現地の学生が受けている通常講義を受けることが出来ています。また、英語のレベル別試験を受け、留学生用に開かれている英語の授業を毎日受けています。前学期の一日のスケジュールは以下のようでした。

◎月曜日
9:00−9:50 ESLG1003
11:00−11:50  ESLG1006
1:00−2:15 Tap Dance(タップダンス)
*ESL(English as a Second Language )

◎火曜日
8:00−9:15 Psychology(基礎心理学)
9:30−10:45 ESLG1003
2:00−2:50 University Seminar(新入生用講座)
5:00−7:45 Technology for Education(教育用テクノロジー技術)

◎水曜日
9:00−9:50 ESLG1003
11:00−11:50 ESLG1006
1:00−2:15 Tap Dance

◎木曜日
8:00−9:15 Psychology
9:30−10:45 ESLG1003
2:00−2:50 University Seminar

◎金曜日
9:00−9:50 ESLG1003
11:00−11:50 ESLG1006

 授業の後は、ほとんどの授業でたくさんの課題が出されるため、すぐに図書館に行き勉強をしたり、私はキャンパス内で教授のアシスタントとして仕事をさせてもらえる機会をいただいたので、授業が終わると研究室に行ったりする日々を過ごしていました。また、少し時間に余裕がある時は、よくアクティビティセンターに通い運動を友人としていました。昼食を家で一緒に作ったり、晩ご飯を食べに行ったりしました。留学生の友人とは、お互いの伝統料理を作ることが多く、様々な食事を楽しむことが出来ました。テーブルマナーも国によって全く違うことを学びました。例えば、韓国ではお茶碗やお皿を口元に近づけて食べることはとても行儀の悪いことであるとか、ネパールでは料理を食べる時は机には置かず、床に置いてそれを囲いながら食べるのが当たり前であること、あるヨーロッパの国では出された料理に自分で調味料を入れることは、料理を作ってくれた人に対して無礼な行為であることなど、国によって味に関する考え方も違いましたし、日本人には考えられない料理法などがありとても興味深いものでした。現在の授業スケジュールは、前期よりも授業数は少ないのですが、授業の内容がより難しくなったため、毎日授業の後に図書館に通っています。

<学んだこと、学んでいること>

 現在は、前期に仲良くなった友人と新しくルームシェアを始め、今期も新しい生活を始めたばかりです。私のルームメイトは二人で、二人とも台湾出身です。彼女たちは中国語と台湾語の両方を使っています。違う国で育った人たち同士が、同じ家で生活をともにすることは楽しいのはもちろん、生活の違いを理解することはとても簡単ではありません。私は彼女たちと生活をしていて、自分が中国語を話せたらよかったと何度も思っています。私たちは、英語で会話をしてコミュニケーションを取っているのですが、時に彼女たちが中国語だけで話し、楽しそうに笑っていたりお互いの気持ちを確認しあったりしているのを見ると、中国語を話したい気持ちに駆り立てられます。私は、今まで友人と会話をしているときに、相手の英語がわからずしっかりと話の筋を理解してあげられなかったり、相手に上手く自分の気持ちや考えを伝えられなかったりした経験があります。しかし、私はこの困難や彼ら彼女たちとの関わりを通して、お互いを理解するには、言語の知識やコミュニケーション力も必要ですが、何よりも相手の気持ちを理解したいという思い・自分の気持ちを伝えたいという思いが大切だと気づきました。言語に関わらず、相手を信用したり理解したりするために、自分から心を開いていかないとだめだということにも気づかされました。
また、ULMでは留学生のために行事を行ったり、学生のグループが留学生を招いてスポーツをしたり、留学生にたいする配慮がとても整っていると感じています。また、現地の学生たちは留学生に興味関心をもっていて、英語が上手く喋られない私たちであっても、積極的に話しかけてくれます。私が、何かを説明したい時は、しっかりと目を見て話を聞いてくれるため、私もしっかりと伝えようと思えます。彼らと関わったことで、私も日本に戻ったら留学生や地域の外国から来られた方々のために少しでも自分の出来ることをしたいと考え始めました。また、自分の生まれ育った母国ではない場所で生活をすることが、どれだけ不安でわからないことばかりかがモンローでの経験を通してわかることが出来ました。

<これからの目標>

 今まで、モンローで生活をしてきて英語力に関しては、耳や頭の中で英文を考えるスピードはだんだんと慣れてきたように思います。しかし、現在受けている授業のなかでは、難しい専門的な単語や表現がたくさん出てくるため、自分の出せる範囲での簡単な英語でしかコミュニケーションがとれていません。そのため、現地の学生と学校教育に関して話し合う際に、頭の中には考えがたくさんあるのですが、言葉にできず話し合いに協力できない時があります。それを防ぐために、英語にたいする勉強をさらに強化し、現地の学生との交流をさらに増やして、リスニング・スピーキングの力をさらにつけて行きたいと思います。今期は、教育現場に足を運ぶ機会があるため、教育現場におけるアメリカ教育と日本教育の比較をして、分析していきたいと思います。そして今回、この貴重な機会を提供して下さった愛媛大学や、この協定に最も時間を費やし、私たちを今でもサポートして下さっている教育学部心理学専攻の富田先生を始めとする教授、助教授方に感謝するとともに、この機会を無駄にせず少しでも自分の力にし、また、愛媛大学教育学部とULMの交流の架け橋になれるよう努めたいと思います。

加藤 奈美 2012アメリカ留学(ルイジアナ大学モンロー校) (2013年02月28日)

 2012年8月10日、私にとって人生で初めての留学が始まりました。私は今まで留学経験がなかったのでアメリカの大学生活や、日常生活、英語漬けの日々など全てにおいて何もかもが驚きの連続でした。アメリカに留学に来て早5ヶ月、言語だけでなく私の人生において大切な様々なことを学んでいます。またルイジアナ大学モンロー校(The University of Louisiana at Monroe, 以下ULM)との交換留学のプログラムは私ともう一人が初めての特別なプログラムということもあり、何もかもが手探りの状態でした。今回は中間報告ということで、留学に来た当初から今までのさまざまな経験を述べたいと思います。
1:ルイジアナ州モンローとULMの紹介

 アメリカ合衆国南部に位置するルイジアナ州は、西はテキサス州、北はアーカンソー州です。ルイジアナ州の最大都市ニューオーリンズはフランスに占領されていたこともあり、フレンチな街並みがいまだに残るジャズの有名な街です。ルイジアナ州の中でも私の住む都市、モンローはルイジアナ州の大体中央付近に位置しており人口は約5万人と、人口50万人を越す松山市と比べると約10分の1の人口です。私のモンローのイメージは緑あふれる自然の豊かな町です。図1は私の家からULMまでの通学途中の写真なのですが、写真を見て分かるように、緑溢れる真っ青な空がモンローの特徴です。
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 アメリカ南部ということもありアフリカンアメリカンの人が多く、私が初めてここへ来た時は特に筋肉質の大柄な男の人に少し怖いイメージを持っていましたが一旦話し始めるとほとんどの人が優しく、お喋りが大好きで人懐っこい人が多かったのが非常に印象的でした。
気候に関して、モンローはアメリカ南部に位置しているので6月から8月下旬にかけて非常に暑い夏が続きます。時には40度を超えることもあるので冷暖房が必須です。また、ルイジアナ州でもモンローは内陸なので、1日の寒暖の差が非常に大きいことがあります。非常に暑い日が続いたにも関わらず次の日は急激に温度が下がって寒い日が続くという経験もしました。冬は松山に比べると比較的暖かく、年によって違うそうなのですが、今年は12月にも関わらず日中は薄手の長袖1枚で過ごせる10月並の陽気のことが多いです。
 私の通うULMは医学部を含め広い分野を学ぶことができる大学です。ULMの大きな特徴は、大学の中心に位置する大きな図書館です。(下図:図2)
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 この図書館は、7階建てとなっており、1階は大学の主な運営をするためのスタッフが働いており、また生徒が自由にパソコンを使える階になっています。残りの階は様々な種類の本が貯蔵され、自習のできる机がたくさん並んでいたり、グループで会議のために使うような個室の部屋が多く設けられています。またこの図書館は午前7時から翌朝午前2時まで開館しており、1階の印刷機では月に150枚無料で印刷できるなど、非常に利用しやすい施設となっているので私を含めULMのほとんどの学生がほぼ毎日この図書館を利用しています。図3はULM図書館1階のパソコンスペースの風景です。中央奥のスペースでは多くのスタッフがULMの運営の管理をする部屋になっています。
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 大学の中央には大きく穏やかな川のバイユー川が流れており、天気の良い日には多くの学生がカヌーを楽しんでいます。(流れが非常に緩やかなので、川というよりかは池と川の中間とULMの先生は説明されていました。)
 下の写真(図4)はULMのシンボルである図書館(左)とそれに沿う川のバイユーです。波がめったにたたない川で有名です。
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 ULMではイベントが多く開催されます。ハロウィンには仮装大会、クリスマスには図書館と図書館前のツリーの豪華なイルミネーションなどの大きなイベントから、演劇やコンサートなどの小さなイベントまでほぼ毎週様々な行事が行われます。また、どの大学でもそうだと思うのですがフットボールの試合が非常に盛んです。大きなフットボールの試合となると、観客全員が同じ色のTシャツを用意し観客席を綺麗に同じ色に染めます。また試合前にはテールゲートと呼ばれる場所でフリーフードが食べられる会場が設けられています。チアリーディングのダンスを始め、マーチングバンドの演奏などフットボールの試合は盛大に開催されます。この写真は年に多々開催されるうちの一番大きな試合の時の試合前の写真です。(この時の試合は全米のテレビで放送された試合だったので、飛行機が旋回するショーがあったり花火が上がったり盛大なお祭りとなっていました。)
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2:アメリカでの学校生活

 前期では、私は下の図(図6)のような教科書を使って授業を受けていました。留学生のための英語のクラスを2教科と、ネイティブの生徒と一緒に受ける授業を2教科受講していました。特にネイティブの生徒と一緒に受ける授業は、先生の話すルイジアナ特有のアクセントが強いのに加えて会話スピードが非常に速く、私自身のリスニング力も非常に低かったため授業内容がほとんど理解できませんでした。そんな状況の中で私が最も感じたのは、周囲の人たちの優しさです。教授は時間外に授業の復習を行ってくれ、クラスメイトも授業後に彼らのノートとジェスチャーを交えながら英語の分からない私に粘り強く授業の説明をしてくれました。また、アメリカの大学は日本の大学とは違い、1教科を狭く深く研究する教科が多いので、授業外での自主学習には力を入れて取り組みました。特に毎回授業が始まる前に予習をしておくことは非常に役立ったと思います。
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 アメリカでの学校生活は何もかもが新鮮です。ルームシェアから授業の履修登録など、日本とは全く違う環境の中で手探りの状況から始まりました。基本的に授業は午前中に行われることが多く、午後は学生の自主学習の時間に充てられることが多いです。大学をスタッフと学生が一緒に運営していることもあり、大学が日本に比べて非常に過ごしやすい環境になっていると思います。
3:英語の力

 英語の力をつけるために、100%英語に浸る生活を心掛けました。洋画・ドラマは私のリスニング力の向上に非常に役に立っています。初めの頃は全く理解できなかった英語も少しずつ表現に慣れ、私自身の英語の力が向上したためか、クリアに聞こえるようになりました。また私のルームメイトはアメリカ人ですし、日本人の友達はほとんどいないので家族と電話で話す時以外の会話はすべて英語で生活しています。授業に関して、私の場合は英語(特に会話力)を向上させるために前期では英語を基本とした授業と自主学習の時間と余分に多くとりました。そして1月から始まる後期では私の専門である教育関係の授業や私自身の興味のある授業といったクラスを受講するつもりです。
 私が今まで勉強してきた文法英語を使う人は誰一人いません。特に、ルイジアナはアメリカ南部に位置しているので表現方法や発音が今まで私が聞いてきた英語と大きく異なることもあります。留学して初めの頃はこの南部のルイジアナ特有の方言(イントネーション)に非常に苦労しました。会話をした時に、挨拶さえ分からなかったことは衝撃的でした。しかし、北と南の地域の言葉の違いを学べることや、様々な表現を理解できるようになった今、色々な英語を学べることは非常にいい機会だと思っています。
4:今までの達成度

 8月に渡米して約5カ月経ちますが、日々充実した日々を送っています。自分にできる最大限のことを毎日できていると思います。
 言語に関して、日常会話はもちろん、少し複雑な難しい単語が出てくるような授業でも日々の努力のおかげで理解することができるようになってきました。すこし捻ったジョークや展開の早い映画などは友人からの説明や英語字幕がなければ理解できないこともありますが大方は理解できるようになりました。また会話力に関しても、留学したばかりの頃は辞書にばかり頼っていたけれど、最近では簡単な単語でも上手に表現できるようになりました。
 留学に関して、私は語学だけでなく様々なことを学んでいます。言語もままならず、子供に戻ったかのような0からの環境で、語学の収得だけでなく自分の生活環境の管理・整理、友人との付き合い方、そして自分自身を見直す時間をこの留学は与えてくれました。言葉が分からないのに加えて何もかも新しい環境の中で自分とは何なのかを改めて考えることができたと思います。そして悩んで壁にぶつかったときに、必ず私を支えてくれるかけがえなのない仲間たちに出会うことができました。この5ヶ月間で得たものは私の人生の中でも忘れられない物になると確信しています。
5:反省点

 日常生活に関してこれといって反省点はありませんが、語学力向上に関しては振り返るべき点が多々あります。まず会話をする時にジョークを言われた時に反応が遅くなってしまうことです。また、ルイジアナ州出身のルイジアナ州で育った人の中でも方言の強い人と話すときは、聞き取れないことがあること、ネイティブの人たち同士のディベートは単語が難しいうえに話が早いこともあり、聞き取れないことは改善すべきうちの一つです。そして最大の反省点は語彙力の低さです。もう少し多く語彙を覚えていたら、どれほど簡単に授業をうけられるのだろうとか日々思います。残りの5カ月ではこれを改善することを目標に頑張りたいと思います。
6:今後の目標

1.語彙力・会話力の更なる向上を中心とした語学の勉強に努める
2.ULMでの専門分野の勉強に力を入れる
3.素敵な人々との出会いを大切にし、アメリカでしか体験できない文化学校生活を謳歌する
7:まとめ

 今までは愛媛大学で外国からの日本語学習者の留学生を受け入れ、交流する立場でしたが今回初めて私自身が留学生になって、改めて留学生の気持ちが分かりました。私の場合、留学先のアメリカは多民族国家ではありますがルイジアナ州にはやはりアジア人が少なく、差別的な目でみられることもあります。また、多文化を扱うドラマなどでは日本の典型的なステレオタイプを笑いにとって、ジョークとして扱われることも少なくありません。そのような視線をどう捉えるかは自分次第なのだと思います。
 また私は、アメリカ人との交流だけでなく世界各国から渡米している様々な国の人たちと英語を通して触れ合えることに感動しました。お互いに母国語以外の言葉で英語を駆使して心と心が通じた時に感じる嬉しさや心のあたたかさには計り知れない感動があります。そして、困っている私を助けてくれる現地の人々の優しさに触れることの嬉しさを身に染みて感じることができました。言葉が全く分からなかった私を最初から温かく迎え入れてくれた人たちと心を通わせることができたのは、諦めずに伝えようとしてくれる彼らの熱心な姿勢と彼らの底なしの優しさのおかげでした。
 実際に留学などしなくても語学を学ぶ方法は数え切れないほどあります。しかし上記のような現地の人たちの温かさや異文化コミュニケーション・異文化交流といった、実際に留学へ行ってみなければ学べないかけがえのない経験が留学には数多くあります。そして何を見つけるかは、人それぞれで違うはずです。留学に来て、自分の価値観や感覚が変わるとよく言いますが、本当であるということにこの5ヶ月間で実感しました。最後になりますが、このような貴重な体験をする機会を頂けたことに感謝し、先ほど挙げた今後の目標を達成することを目指して残りの5ヶ月を後悔のないように過ごしたいと思います。

Y.M.  2012イギリス留学(オックスフォードブルックス大学) (2013年02月26日)

・留学前―きっかけ、長期留学を決意した理由、長期留学に向けての準備

この報告書を書くにあたり最初に考えたことは、そもそも私が長期留学の機会を得るきっかけになったのは何だっただろうということでした。一番の転機は、二回生の夏。希望していた今泉ゼミに所属が決まって間もない頃、先生からの突然の電話でした。「今度の9月にイギリスから来る留学生のチューターになってくれないか」。この依頼が先生からあった時、私はまだ海外経験が一切なく本当に手さぐりの状態でした。しかし日々その留学生と接するなかで、日本以外に生まれ育った人が日本に来て抱いた印象や来る前に描いていたイメージなどを始めとする“外からの視点”に触れ、日本語を外国語として学ぶ留学生がその日本語を通していろんな人と出会い、交流し様々な経験をしながら異国の地で奮闘する姿を間近で見て、私もそのような経験ができたらと思うようになってきました。
その後留学生が帰国するため、空港まで見送りに行った帰りに長期留学に関心を持っていることを先生に伝え、そして3回生の後期が始まってすぐ、夏休み中に選考が行われ、私が交換留学生に選ばれたということを聞きました。この時、私はまさか夏休み中に選考が終わっているとは思っていなかったのと、3回生ということで進路についての迷いもあり、うれしい驚きと戸惑いの両方の感情が入り混じっていました。しかし、せっかく大学から入学時には全く予想もできなかった素晴らしいチャンスをいただいて、不安だからとそれを手放しこのまま卒業してしまっては、卒業後にそのことを何度も思い出して後悔するのではないか。このようなチャンスはきっと何度もあるわけではないのだから思い切って挑戦してみよう。そう決意し、右も左も分からない中で準備を始めたのは、現地に出発するちょうど一年前。つまり一年間、留学準備期間がありました。長期留学をすると決断し準備をし始めて実感したのは、留学は現地に着いてからがスタートではなく、日本にいるこの準備期間からだということでした。
準備期間にすることは大きく分けて2つあり、1ビザの申請・取得と2願書の提出・入学許可書の取得です。私が留学したイギリスでは、近年ビザのルールが何度も改定・複雑化し、ビザの取得がとても難しくなっています。ほんの数か月前の情報が古いというほどめまぐるしく変わるため、常に最新情報をUK Borderのホームページで確認し、突然の変更に対処しながら申請にむけて準備をしました。またビザ申請準備と同時並行的に、留学先に出す願書を書き入学許可書を手に入れる必要があるのですが、その時に現地のスタッフと幾度となくメールのやりとりをしました。私自身が英語の授業以外の実生活で英文メールのやりとりをするのは初めてで不慣れでしたし、時差が8-9時間もあるため、些細な質問も解決するまでに時間がかかりました。さらに留学する直前にビザに関するルール変更があった影響を受け、一旦決まっていたことが二転、三転したりして混乱しました。まだ留学の入り口となる準備段階ですが、ビザ取得は想像以上に根気のいる作業でした。
・Oxford Brookes Universityでの留学生活

1.前期(2011/9—2011/12)語学学校
Oxford Brookes Universityの特徴は留学生の数がとても多いことで、全学生の約2割、4000人の学生が世界中から集まっています。前学期の3ヵ月間は大学付属の語学学校に通い、Academic skills(Speaking, Listening, Writing, Reading)の底上げを徹底的に行いました。カリキュラムは大学付属ということでとてもしっかりしていて、語学学校の授業は一日一コマ4時間、休憩はわずか10-15分という厳しい条件でした。最後まで集中力を長時間持続させることには苦労しましたが、膨大な課題をなんとかこなしていくなかで力は確実についていった実感がありました。クラスが15人程度と少人数で先生ともクラスメイトとも距離が近かったことで先生に質問しやすく、仲間と切磋琢磨して向上しようという雰囲気につつまれたとても恵まれた環境で自分のペースで少しずつ学習を進めることができたこと、また最終成績になるweek12のテスト以外に2回模擬テストがあり、自分の現時点での評価・改善点について先生からのアドバイスがもらえ、それを参考に修正すべき箇所を明らかにして、テスト独特の緊張感にも模擬テストで慣らしていきながら最終試験を迎えることができたことは、学生の立場に立った、少しずつ自信と手ごたえを得て後期に備えられるという点で非常に良かったと思います。

2.大学寮
Oxford Brookesには大学、または大学院1年生向けの大学寮があり、交換留学生もいずれかの寮を選択して学生生活を送ることになります。私は大学のキャンパスから近く、静かで学習環境が整っているということでClive Booth Postgraduate Centreに住むことにしました。大学院生の寮であるためか、キッチンが共同であること以外日本のアパート・マンションで一人暮らしをするのとほとんど変わらない生活でした。洗濯はコインランドリーのようなところでするのですが、よく壊れていたりお金を入れても反応しなかったりといったトラブルに遭遇することがありました。洗濯機に限らずですが、日本ではあまり出くわさないような事態が頻繁に起き、その度に冷静に状況を判断して寮のスタッフに説明をすることを繰り返すことで、トラブル対処・処理能力が身についたと感じました。
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3.サークル活動
サークルはsocietyと呼ばれています。私は日本語や日本に興味を持つたくさんの学生と出会い交流したいと思い、Japanese societyに入りました。Japanese societyはOxford Brookesの中で最も加入人数が多いサークルとして知られ、非常に意欲的に活動しており、毎週複数のイベントが開かれています。私が毎週かかさずに参加していたのは、月曜日の夜に開かれていたCulture & Language Exchangeです。
前期のCulture & Language Exchangeはイギリス・日本両方の文化をサークルの代表者のプレゼンを通して学び、その後グループに分かれ英語と日本語でディスカッションをするという内容のものでした。授業から離れた和やかな雰囲気でありながらグループの中で発言する機会があって、speaking skillを無理なく伸ばしていきたいと考えていた私にとってぴったりの集まりでした。この場を通じて気の合う友人と出会い、授業で出された課題等に苦戦しているときはイギリス人学生・日本人学生がお互いに助け合い、疑問点を解消したりアドバイスをもらったりしながら貴重な時間を過ごせました。
後期は代表者を私の友人が務めることになり、前期よりもLanguageの方にシフトしてspeakingの向上を目指したものにしようということで、私が友人と共にCulture & Language Exchangeのリーダーとして毎週テーマを決めプレゼンをする立場になり、ただ会へ気軽に参加していた前期とは状況がまるで逆転してしまいました。あがり症で人前に立つことをそれまで極力避けてきた私にとってはかなり勇気のいる、あまりに未知な挑戦でしたが、友人とアイデアを出し合ったり、愛媛大学での二度に渡る私自身のチューター経験・英語言語学を専攻していることを最大限に生かしたりして、外国語としての日本語と英語という視点に立ち、教科書では学びきれないnative speakersの自然な英語・日本語をたくさん紹介し、外国語を通してのコミュニケーションをもっと有意義で円滑に進めていくための手助けになるようなものにしようという目標のもと、試行錯誤の後期3ヵ月間を過ごしました。
この経験をしたことで細かいミスや言い間違いを恐れ、話す前に構えてしまっていた以前のとは違い積極的に英語を話して友人と意見交換できるようになり、また人前で話すということについても場数を踏むことで緊張をしている自分に同様することなく落ち着いて、聞いてくれている学生たちの目を見ながら話せるようになりました。自分自身が大きく飛躍し成長できたのは、このCulture & Language Exchangeがあったからだと確信しています。

4.後期―学部の授業に参加(2012/02-2012/5)
後期は正規の学生と同じ学部の授業を受けました。日本について、海外の大学ではどのように教えているのだろう。学生は日本に対してどのようなイメージや意見を持っているのだろうといったことに関心のあった私は、日本語を専攻している学生が多く出席する日本文化に関する講義に出て、「外から見た日本」に注目しました。また後期には、一年間日本に留学をして帰ってきたばかりの4回生のイギリス人学生とペアになり、講義はなく、二人で3ヵ月間のテーマや計画を立ててspeaking skillの向上のために設定した課題をこなしていくTandem Learningという科目があり選択しました。講義が一切なく学習計画が全て学生に任されていて、一からTandem Learningを作っていくという点で非常に特徴のあるものでした。例えば週に何度会うか、どこで会うか、どんなテーマを取り上げ議論するかということを二人で決めます。1コマは約2時間と決まっていて、一時間ずつそれぞれ英語と日本語で会話をし、気になった点などはその言語のnative speakerの学生が相手の学生にアドバイスをしながら会話を進めていきます。いわば英会話のプライベートレッスンのような形です。回数をこなすごとにペアの学生とも打ち解け、Tandemという言葉の通り二人三脚で同じ目標に向かい努力していくことができ、最終試験のテストでもいつも通りの二人の会話をしてそれを先生二人が評価するという形で、最後の最後まで負担になることなく楽しんでできた結果が好成績につながりました。日本ではできない数多くの経験をし、帰国後も連絡を取り合う友人と出会い、そしてOxford Brookesならではの授業に参加することができたことをとても幸せに思うと同時に、私にこの機会を与えてくださった大学の関係者の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

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大森 菜央 2012インドネシア留学(ガジャ・マダ大学) (2013年02月26日)

私はインドネシア、ジョグジャカルタにあるガジャ・マダ大学という大学で研究をしている。ガジャ・マダ大学は1949年に設立された、インドネシアで最も歴史の深い大学である。18学部、学生総数55000人という大きな大学である。私はその中で農業技術学部(Fakultas Teknologi Pertanian)という学部に属している。
インドネシア留学の契機は、2011年の夏に参加したKKNというプログラムである。KKNというのは、インドネシアの大学での必修の単位で、都市部から離れた村に一定期間滞在して、それぞれの学部に沿った課題をこなしていくプログラムである。日本人は9人参加し、2週間ガジャ・マダ大学の学生に混ざって村での生活を体験した。その際、インドネシアの農家と日本の農家の違いを肌で感じ、ここで研究をしてみたいと思った。また、その2週間でインドネシアが大好きになり、また戻って来たいと心から思い、インドネシア留学を真剣に考えるようになった。日本に帰って愛媛大学にいるインドネシア人に積極的に話しかけて少しずつインドネシア語も覚え、周りの方々の助けに支えられ、晴れてインドネシアへの留学が実現した。
インドネシアへ来て大学に通いながらまず感じた感想は、インドネシアの大学生は日本の大学生と比べてレベルがとても高いということだ。見た目は、勉強ばかりしているという風ではなく、それぞれしたいことをして、友達と遊んでばかりのようにも見えるが、話してみると、とても聡明であることが分かる。日本の学生はアルバイトをするならアルバイトにだけ集中するし、遊んでばかりだとその分勉強が疎かになるものだが、インドネシア人はやるときはやり、切り替えがはっきりしているのだと感じた。また、インドネシアの学生は言語力に長けていると思う。インドネシア人のほとんどの学生は英語が話せる。また、インドネシアでは、公用語はインドネシア語だが、それぞれの地域で地域ごとの言語を持っている。たとえばジョグジャカルタではジャワ語が使用されている。インドネシアの子どもたちは家族の中でその地域の言葉を用いながら、また学校でインドネシア語も同時に覚えながら育つ。インドネシア人同士の会話を聞いていると、一人の友達とはジャワ語で話すが、もう一人の友達と話すときはいきなりインドネシア語を使ったりする。だから、インドネシア人は自分の地域の言葉、インドネシア語、英語を話せるということになる。また、イスラム教の人たちはコーランを読むため、アラビア語も理解できる。インドネシアに来て、これを知ってからは本当に驚き、感心した。ちなみに私はインドネシア語を勉強しながら友達との会話の中でジャワ語も少しずつ覚えるべく努力している。
学校生活に関し、私は初めの4カ月間はINCULSという学科にてインドネシア語を勉強した。INCULSには予想していたよりも日本人がたくさんおり、また日本人以外の外国人も多数通っていた。通っている学生のうち大多数は日本人とオーストラリア人であり、続いてアメリカ人、韓国人、中国人、ヨーロッパ人という感じだった。INCULSは初級、中級、上級と3つのクラスに分かれていて、はじめにテストを受けてその結果で振り分けられる。ちなみに私は中級で勉強をした。INCULSで様々な国の人に混ざって勉強して感じたことは、日本人は授業中の発言が少なく、中国人、オーストラリア人、アメリカ人は積極的に質問をしたり、先生の質問に答えたりしていた。日本にいては感じ取れないことだと思うが、発言するのに戸惑っている自分に少し恥ずかしくなるほど、日本人はしゃべらなかった。文化の違いだと片づけてしまえばそこまでだが、やはりこれからの世界で生きていくためにこれではだめだな、と一人考えてしまった。
インドネシアでの生活だが、はじめはやはり慣れないことだらけで難しく感じることがたくさんあった。食べ物は辛いものがほとんどで、その辛さのレベルは日本とは比べ物にならない。インドネシア人は揚げものを食べながら唐辛子をかじるという日本では考えられないことをする。通常の野菜スープであっても、唐辛子が大量に入ったものであることが多い。私はもともと辛いものが苦手だったので、はじめは本当につらかった。しかし最近では、辛くしないでくれと頼むことを覚えたし、辛くない食べ物がどれかが分かってきたので、食べられるものが増えてきた。左上の写真は、チャプチャイという食べ物で、もし唐辛子を使わないでくれと頼まなければ、もちろん辛いものが出てくる。このときはまだ全く辛いものが食べられない時だったが、今は徐々に練習しているので、半年後に帰る頃には私も唐辛子をかじっているかもしれない。

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食べ物以外でインドネシアでの生活で困難に感じたことは、トイレとお風呂である。インドネシアのトイレにはトイレットペーパーは付いていない。代わりに小さいシャワーまたはバケツに水が溜めてあるので、それを使って洗わなければならない。はじめはとても難しく、服がぬれてしまったり、うまく洗えなかったりで、トイレットペーパーを持ち歩こうか考えた時もあった。しかし試行錯誤を繰り返すうちに自分なりのやり方を見つけて、もうどの場所のどれだけ汚いトイレも使えると自負している。もちろんトイレットペーパーを持ち歩いている日本人はたくさんいる。またお風呂については、水風呂がほとんどで、お湯の出るコス(日本でいうアパート、寮みたいなもの)を探そうとすると、やはり値段が高くなる。私はもともと50万ルピア(約5000円)しか出すつもりはなかったので、もちろん水風呂である。ちなみに右の写真が私のコスのトイレとお風呂である。乾季のころは良かったのだが、現在インドネシアでは雨季で、朝と夜に入浴しようと思うととても寒い。これも慣れであろうと、現在修行中である。
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さて、本題の研究についてだが、私は今「インドネシアのタバコの生産と流通」というテーマで研究をしている。まだテーマは漠然としていているのだが、少しずつ調査に行ったり本を読んだりしながら、確定していこうと考えている。このテーマにした理由は、2011年に参加したKKNの際滞在した農家でタバコを生産しており、その村にもう一度行ってそこで研究をしてみたいと思ったことが1点。2点目は、インドネシアでのタバコの普及率に興味を持ったことである。インドネシアの成人男性の喫煙率は、2012年には67%にのぼり、世界一の喫煙率を記録した。その中でタバコ農家はどのような位置づけなのか、流通経路はどのようになっているのかを追跡したら、面白い研究になるのではないかと思い、このテーマに決めた。また、インドネシアではタバコ産業が国の主産業をなしており、もしこのタバコ産業のシステムが壊れた場合、国内経済にどのような影響があるのか、タバコ農家、タバコの流通に関わる業界はどうなるのかという点に大変関心を持っている。というのも、現在では世界的に禁煙ブームが広がっている。日本でもタバコ税が上がってきている。今すぐというわけではないが、将来的に必ずその流れがインドネシアにも来るはずだ。その時インドネシアのタバコ産業にどのような問題が出てくるのか、またその対応策を考えるためにも、この研究はこれから重要なものになるのではないかと私は考えている。
先日、Temanggungという山の、タバコ農家があるという村に2日間滞在して調査を行った。こちらの教授によると、このTemanggungで生産されるタバコは他の土地よりも質が良いらしい。私の学部の友達の知り合いが、この地域でタバコを生産していると聞いたので、その友達と、通訳者と一緒に行ってきた。KKNに参加した時から感じていたが、インドネシアの農家は活気に満ちている。日本の農家は、若者が街に出ていき、村には高齢者ばかりが生活している。ところがインドネシアでは若者がそのまま農家を継ぐため、さまざまな年齢層が生活している。村ではたくさんの子どもたちが走り回っている。日本のように後継ぎ問題は、インドネシアでは今の段階では考えられない。

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農家の人に話を聞いていくうちに、日本とは違う点がいくつか見えてきた。まず、農地の使い方が違う。日本では、畑と田では使い方が違い、農家の人たちはそれぞれを使い分けている。水田で米を生産し、畑で野菜などを育てる。しかしインドネシアでは1つの農地を畑としても田としても使っている。1年のうちに、1つの農地をすべて使って米、野菜、タバコをローテーションで生産する。これは日本との気候の違いもあるのだろうが、水の使い方にも違いがあるのではないかと思った。
農地所有に関しては2パターンあることが分かった。農地を所有している人は、1.自分は生産には関わらず、他の人に作業を委託する。そして収穫量の半分は自分がもらう。2.自分も生産に関わるが、他の人を給料で雇って一緒に働く。収穫はすべて自分がもらう。というものだ。土地所有者が他の人の手を借りずにその家族だけが生産に携わるという農家は私が調査した中にはいなかった。
私の研究のテーマになっている流通についてだが、これも日本とは全く違う。日本ではタバコの流通は1つの経路しかない。タバコ農家からそのままJT(日本たばこ産業)に出荷されるという経路である。ちなみにJTが農家に種を無償で配布し、その種を使って農家が生産したタバコはJTが必ず買い取らなければならないというしっかりした決まりもある。しかしインドネシアではまずタバコ会社がたくさんある。Gudang Garam、Sampoerna、Djarumが代表的な3つの大きな会社だが、他にもKarya Dibya Mahardika、Bentoel Groupなどがある。 その時点でタバコ農家からそれぞれの会社にのびる経路はたくさんあるのだが、それだけではない。タバコ農家からタバコ会社までの間に、たくさんの仲介業者(仲買人)がいる。今回の調査では、農家の実態と、その仲買人のことについて少し話を聞くことができた。
まず、その仲買人というのは2種類いて、農業生産に関わりながら、タバコの売買にも関与する人、仲買人としてだけ働いている人だ。この人たちは農家からタバコを買い、それを直接工場に持っていったり、また次の仲買人に売ったりする。工場までの間にたくさんの仲買人を介する。もちろん、一人の仲買人ごとにタバコの値段はどんどんあがっていく。たとえば農家Aが仲買人Aにタバコを1キロ400円で売るとすると、仲買人Aは仲買人Bに1キロ450円で売る。またその仲買人Bは仲買人Cにそのタバコを1キロ500円で売る。この話を聞いてふと思ったことは、どうして農家Aははじめから仲買人Cに1キロ500円で売らないのか、ということだ。どうしてわざわざ安く仲買人Aに売ってしまうのか。この質問を仲買人の人に聞いてみたところ、このタバコの売買は、これまでの付き合い、経験、信頼で成り立っていて、信頼がないところにタバコを売ろうとしても、ほとんど値がつかないらしい。だから、農家Aがこれまでの付き合いがなく、信頼もない仲買人Cに売ろうとしても、仲買人Aに売るよりも値が落ちるかもしれないということだ。だから工場に行きつくまでにたくさんの人を介す長い経路が出来上がっているのだろう。この信頼については、出荷量、価格について具体的な数字を訪ねた時にも感じることができた。農家の人たちは、自分が出荷したタバコの量をはっきり覚えていない。計っていないのだ。生産したタバコすべてをそのまま仲買人に見てもらい、これはこのくらいの質がこれくらいあるので、値段はこれだよ、という風な取引らしい。確かに、これはその仲買人との関係が信頼できる関係でなかったらできないことだろう。また、質によっての値段も農家はあまり把握していない。たまに、悪い質のタバコを隠すためにいろいろな質を混ぜて仲買人に売る農家もいるらしい。これは調査をする段階で少し不都合である。1つの農家がどの質のタバコをどのくらいの値段で出荷し、どのくらいの収入があるのか、というのがうまく把握できないのだ。この点については、今後調査方法を考え、できるだけ把握していく必要がある。
また、Gudang Garamというタバコの会社は、メンバーカードを持っていないと、タバコを保管する倉庫に入れないことが判明した。つまり、カードを持っていない農家あるいは仲買人たちは必然的にカードを持っている仲買人のところへタバコを持っていかなければならないということだ。ちなみにそのカードは現在発行中止になっているので、もうこれから新たに作ることはできない。今カードを持っていない人は誰か他の人に持って行ってもらい続けるしかない。
また私は、タバコの流通の中で、それぞれの段階の収入の差について注目している。今回の調査で、農家の収入について詳しく聞いてみたところ、驚いたことに、タバコの生産による収入はどの農家でもそれほど大きくないことが分かった。先ほども述べたように、確実な収入は把握することはできなかったが、全体的な収入のバランスを見るとそれが明らかであった。タバコ生産以外に米、唐辛子などの野菜を出荷している農家が多いが、それによる収入や、農業以外にWarungという小さな食堂のようなものを開いている農家もいて、そのWarungによる収入の方が圧倒的にタバコによる収入よりも大きい。というのも、タバコの収入というのは毎年安定していないらしい。最後にタバコが工場に入るときの価格は毎年工場が決めていて、農家にはその価格変動の原因はわからないという。だからおそらくタバコの価格が高いときにはタバコによる収入が他の収入よりも大きくなるのだろうが、今年は昨年よりも価格が大幅に落ちていたために、他の収入が大半を占めることとなった。
今回は話を聞くことができたタバコ農家も少なかったし、仲買人に対してもほとんど話を聞けず、収入の差や、他の詳細についてはまだ詳しくは分からない。また、収穫量、出荷量、タバコの質の問題など、詳しく調べなければいけないことがたくさんある。今回の調査はインドネシアのタバコ農家の現状を知るための事前調査でもあったため、調査票でも課題を追求するための質問が欠けていた部分がある。予想外のこともたくさん出てきたため、質問の形式も修正し、必要なものを足しながら、これからより核心に迫っていこうと思う。2月にまたTemanggungに行く予定があり、その時は2、3週間滞在する予定なので、また新しい情報を得たいと考えている。また、Temanggung以外に2011年に行ったメラピ山のタバコ農家でも調査をしたいと考えている。というのも、先にも述べたようにTemanggungのタバコの質は他の地域のタバコのそれよりも良いので、その他の地域のタバコとの値段の比較がしてみたいというのもある。さまざまな農家で話を聞くことで、タバコ農家の全体像が見えてくると思う。そして流通経路も図にできるまで把握していきたい。この研究をすることによって、先にも述べたようにインドネシアのタバコ産業の問題点、改善点や、また日本のタバコ産業、世界のタバコ産業にも関わる問題が見えてくると思う。まだまだ漠然とした点や、不確実な点があるが、ゆっくり確実に研究を進めていこうと考えている。
また、せっかくインドネシアに来ているので、インドネシアの文化にも積極的に触れて行きたい。さまざまな文化、価値観を知り、広い考えを持った人間に成長して帰りたい。残り半年、インドネシア語も上達するように努力し、自分でできる限りのことをしていきたいと思っているが、まだたくさんの人の助けが必要になってくると思う。私を支えてくださっている周りの方々への感謝の念を忘れず、人とのつながりを大切にしながら、充実した留学生活を送って行きたい。

遠部 拓哉 2012韓国留学(順天郷大学) (2013年02月25日)

韓国は、日本に最も近い国であり、東アジアの国として非常に似た文化を持っている国である。歴史の中でも韓国とのかかわりは非常に深かったです。この辛いものが有名な国に留学した理由をまず述べていきます。
①留学費の安さ
留学といえば、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの英語圏やヨーロッパ圏への留学が一般的です。私も英語留学をしたいと考えていましたが、個人での留学は、費用が高すぎて現実的ではありませんでした。その時に、教育学部が順天郷大学と交換留学協定を結んでおり非常に費用の面でも、安いと聞きました。韓国の物価は、コンビニのおにぎり1個が60~80円で物価面でも安いです。また、大学の両に滞在しますが、その寮費も学校のプログラムによって無料となります。
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②英語の学習
皆さんは韓国で英語学習なんかできると思いますか。私も最初はできないと思っていましたが、この大学は留学生が多く、毎日外国人と英語でかかわる機会があります。アメリカ人が一番多く20~30人いましたが、それ以外にメキシコ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチン、中国、インドネシア、ベトナム、タジキスタン、カンボジアなど世界中20数ヶ国からの留学生が集まって、50人以上の外国人が寮で暮らしていました。アメリカ人でも、カリフォルニア、テキサス、アイオワ、ペンシルベニア、ハワイなどいくつもの地域から来ているので、多様性がありました。多くの外国人がいる中での共通言語は英語だったので、必然的に英語の学習につながりました。
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このような理由から、韓国の順天郷大学に留学しようと考えました。次に、留学で学んだこと、活動したことについて具体的に述べていきます。
1.プログラム
授業について
授業は他の外国人と一緒に受け、Cultural Internship Discussion,韓国語(必修)、韓国文化(選択必修)、様々な分野の授業(選択)がありました。韓国語は生活していくために必要なサバイバル韓国語を学んで、日常的に韓国人と話していたので、私は簡単な日常会話はできるようになりました。選択必修の韓国文化は、音楽、踊り、書道、テコンドーの中から1つを選びました。留学生は様々な専門を持っており、それに対応したように、様々な分野の授業を英語で行われていました。授業の単位としては、多くとることはできませんが、授業に参加するだけも可能で、私は「韓国の文化と社会」の授業を受講していました。
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Language Exchange
授業以外に「Language Exchange」と呼ばれる韓国人との活動がありました。日本人は、日本語を、その他の外国人は英語を韓国人に教えるという交流があります。1人当たり週に1時間ずつ日本語を教えますが、活動内容は決まっておらず、会話、食事、スポーツなど様々な事をして、日本語を教えていました。また、この活動を受けることで、寮費が無料になるので参加しなければなりませんでした。私は週に5人、5時間の交流がありました。この活動で関わる韓国人は、日本語のレベルは違いますが、日本語を学びたい人ばかりです。日本をと英語と韓国語を混ぜながら、日本語を教えたり、逆に韓国語を教えてもらったりして、非常に有意義な時間でした。また、同時に友達も増えたのでよかったです。
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Field Trip
この学校では、寮のグループごとにField Tripの計画書を出させて、いくつかのグループに補助金を出すことでField Tripに行くことができました。この活動の目的は韓国の文化について学ぶこと、お互いの文化について学ぶこと、交流を深めることでした。男女のグループで行うことが多く、場所も様々で、私は、慶州に行くことができました。慶州での内容は次のことです。
・POSCO見学
大韓民国最大の製鉄会社のPOSCOを見学しようとしたが、外からしか見学できなかった。
・良洞民族マウル
韓国の伝統的な村のマウル(村という意味)を見学した。ここは、韓国化もされずに昔のままの姿をとどめており、今も普通に人が暮らしている。ここでは、餅つき体験もした。
・慶州歴史地域見学
東洋最古の天文観測施設「瞻星台」、新羅時代の古墳を見学して、韓国の伝統的なうちわ、凧、お面を作った。ちなみに世界遺産の地域である。
・仏国寺
世界遺産である仏国寺では、10ウォン硬貨にも書かれてある、多宝塔を見学したりした。

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・石窟庵
仏国寺の近くにあるこの場所では、芸術的な仏像をみた。ちなみに頭の部分にはダイヤモンドが埋められている。
・アメリカ様式の食事と韓国様式の食事
朝食では、トースト、ウインナー、スクランブルエッグでサンドイッチにして、私たちは、牛丼をつくった。

Sports Festival
Global Village(外国人の寮)を4つのチームに分け様々な競技を韓国人と一緒に行って非常に盛り上がった。行った競技は、風船割り、ひっくり返せ色板、障害物競走、綱引き、ミニゲームでした。
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Coffee Hour
月に約1回、寮でテーマに沿ったパーティーをして韓国人、外国人と交流をするというイベントがありました。テーマも、スポーツ、音楽、自国文化紹介がありました。この場で、友達も多くできてよりよい交流機会となりました。

学校施設
・寮
Global Villageには5つの建物があり、男子2棟、女子2棟に分かれており、1部屋2人、6部屋が集まり、1グループとなっていました。基本的に外国人2人、韓国人10人のグループで、1~4回生が入っており、花見やField Tripなど家族みたいなものでした。中央の建物には、交流スペースがあり、一緒に勉強したり話したりしていました。
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・国際交流部
主に授業はここであり、Exchange Roomにいくと外国人に会える。
・食堂・・・・・4つ
・コンビニ・・・2つ
・ジム・・・・・2つ
・ビリヤード場・1つ
・運動場・・・・2つ(土1面、人工芝1面)バスケやランニングをしている人が多い
・体育館
・学校内・駅を結ぶ連絡バスが通っている
2.学んだこと
言語はコミュニケーションのツールである
生活をしていく上では、言語が必要になる。ジェスチャーでも何とかなることはなったが、ジェスチャーだけではやはり限界がある。1対1の話なら、聞き返しながら聞くことができるが、グループでは外国人ばかりなので、自分だけ分からないといったこともあった。覚えている単語の少なさやスピードに慣れていない、発音に慣れていないと分からないことが多くあった。お互いの文化を知る前に、コミュニケーションのツールである言語の大切さを実感することができた。また、一言語で生活できる日本の素晴らしさも感じることができた。

韓国語について
韓国語は日本語と似ている部分が多く学習しやすいという利点がありました。似ている単語、動詞の変化、敬語など本当によく似ている部分が多かったです。さらに、ハングル文字は一六世紀につくられた新しい文字であり、世界で一番理論的な文字で、パズルのようで勉強しやすかったです。こちらであまり勉強していかなくても、日常会話はほとんどできるようになっていました。また、中国語と日本語を混ぜ合わせたような言語であることも興味深いです。中国語由来のことば、日本語由来のことばがあり、相互の学習にも生かすことができると感じました。

(例)
中国語      =     韓国語      (=  日本語)
観光(guan‐guang) = 관광(gwan‐gwang) (=  観光  )
日本語  =   韓国語
かばん  =   가방(Kaban)

非常に似ている言語ですが違うところもあります。例えば年齢のことをより重視します。日本語では、「先輩」、「後輩」ということばがありますが、韓国語では、男性からみた男性の年上、女性の年上と女性からみた男性の年上、女性の年上の言い方が違います。
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このように似ているが、違うところもある韓国語を学ぶことはとても面白く、また、日本語がどのようなものなのかという日本語の理解にもつなげることができました。

文化について
韓国人の特徴として感じられたことは、一般的に熱い国民性があるということです。一つのことに対して熱くなるときは、熱くなりやすく気持ちを込めて行動しています。一方でさめる時も冷めやすいです。男女関係も非常に仲がいい時は、非常に熱く、関係がなくなったときは非常にさっぱりしています。また、家族に対しての距離が近いということも挙げられます。週末にはほとんどの学生が地元に帰省して家でリラックスした休日を過ごします。距離が近く、交通費が安いことも関係しますが、週末に残っている学生は、ほとんどいませんでした。また、寮の中でも学部の中でも上下のつながりが強く、学科ごとに合宿に行ったりして、上回生が指導をしたり、下回生が上回生に勉強を聞いたりしている場面も数多くありました。このように、韓国人の特徴としては、知り合った人に対しては、非常に仲が良くなることがあげられます。ある一定のグループの中での仲は非常によいのですが、他のグループへの関わりというものは少ないのではないかと感じました。全体的に見て、日本人よりもグループで行動する機会が多いのではないかと思います。女性の間でも仲がよいところは、手をつないだりする姿も見られて日本人かどうかと判断するポイントにもなります。また、人との距離が日本人よりも近く、かなり接近することが多かったです。このようないくつかの点から似ているようで全く似ていない韓国人を感じることができました。
欧米人に対しては、「欧米人は自分の言いたいことを言い合う」文化だと感じました。様々な民族が入り乱れる中で、自分たちの意見を主張していくことは必要であったことは知っておりましたが、自分の考えを表現する方法をより多く持っていること、相手の話の中で自分を表現していく技術が非常に高いと感じました。日本人の話の間合いと欧米人の話の間合いが違ったことも深く影響していると感じました。お互いの間合いが違うので、タイミングがずれ、発表する機会を失っていると感じました。今回のことから、自分の言いたいことを言っていくためには、相手の間合いを知ること、言語についての知識を深め、実践していくことができることが考えられました。
一方日本人の良さについても感じることができました。日本人は自分から発言しなくても、他人が気遣うということが多く、お互いの意見を聞くということが多いと思います。また、すべてのことを言わなくても伝わることもあり、日本語はハイコンテクストなのだと改めて感じることができました。

今回の留学で学んだことは、とても多く、自分の財産となりました。この経験を自分の中でしっかりと整理をして、自分だけではなく他の人にも伝えていくことが自分にとっても、相手にとっても有益なのではないかと考えています。今回の経験をもとにさらに様々なことにもつなげていこうと考えています。

有友可奈子 中国短期語学研修2011(韓山師範学院) (2012年05月30日)

今回中国に行ってみて分かったことは、中国は日本とかなり近い位置にある国だが日本とは全く違う国だということだ。
当り前のことのようだが、私は実際に行ってみるまでそうは思っていなかった。それは日本で見たり話したりする中国人は、見た目は少し違ってもしていることは日本人と一緒だったからだと今は思う。初めて自分の国でリアルに生きる中国人とその文化に私は大変驚いた。

中国の店員さんはほとんどの人が笑ってくれない。最後には慣れたが、それが最初は怖かった。怖かった理由には、笑っていないのにつけて何をしゃべっているか分からないからというのもあった。
中国人同士は早口の大きな声でその上眉間にしわを寄せてしゃべるものだから、こっちは大変不安に思いながらそれを見ていた。が、師範大学の学生にそれを話すと逆に驚かれた。そして別に怒りながら話しているわけではないと言ってくれた。

 

その時私は、外国で言葉が伝わり理解できる事とできないことでは安心できる具合が全く違うということを知った。また伝えることはできたとしても、相手の言っていることが分からなければ会話は成立しない。そして相手の言葉を理解するのは伝えることよりも大変だった。其れを感じたのは買い物をした時だ。私は今回中国の店で買い物をすることはできた。しかし、店員さんがしてくれたであろう商品の紹介は全くと言って分からなかった。綺麗だとか、良いものだとかという簡単な事は分かるのだが、産地や年代といったセールスポイントを説明されても今の私のレベルでは理解できなかった。説明してくれた店員さんには大変すまないと思いながら買い物をした。

 

言葉は大事だった。私は初めて外国人になってみて、言葉が伝わるありがたさを感じた。そして世界共通語に大変助けられた。日本人なのだから英語はいらんと言う人がいるが、今回初めて学びが役に立った気がした。

 

中国では今まで思ってもみなかったことが多くあった。まずは食事である。
食事は毎回食べきれないだけ出てきた。聞いてはいたが、矢張り実際に見るのと想像とではだいぶ違った。学生に、残すのは中国のマナーだから無理に食べることはないと言われたが、なぜか食べないといけない気になり少し無理して食べた。一緒に留学に参加した皆にも聞いたが、やはりそういう気分になったらしい。日本では残すことはあまり良いことではなく、米粒一つでも残すのは憚られたりする。そういった意味で、私は中国の文化を感じるとともに日本の文化も再確認することができた。中国のマナーには、客にお腹いっぱい食べてもらい満足してもらいたいというもてなしに対し、満足したという感謝がこめられている。日本のマナーは、食べ物を粗末にせず、作ってくれた人、また調理された命に対しての感謝である。どちらが悪い、良いという訳ではない。ただ、残したときに思ったもったいないという気持ちは、私が日本人だからだと実感した。

 

中国に行って気づいたことはほかにもある。街中の公園では多くの老人が太極拳をしたり、踊ったり、カードで遊んだりしていた。道でマージャンをしたり、楽器を弾いたりしている人もいた。私はこんなににぎわった公園を見たことがない。中国の公園は、老人たちの社交場であり、中国の文化を感じられる場所だった。日本の老人ももっと公園にでも行って遊べばいいと思う。そうすれば、会費もはらわなくても良いし、友達もできる。日本の老人の交流の場所と言えば病院の待合室だが、公園の方がよっぽど健康的である。

 

しかし同時に、物乞いの老人も多く見かけた。日本では物乞いをしている人などなかなか見ることはない。日本にもホームレスはいるが、その人たちも物乞いで生きている人は少ない。また日本であれば生活保護を受けることもできるし、年金もある。しかし学生によると、そういった制度は中国にもあるがまだしっかり普及していないとのことだ。そして日本で貧しいと言われている生活水準も、中国からみればいい方である場合があるとも言っていた。北京に行った時、ビルが立ち並ぶ中でかなり貧しそうな家の地区を見た。確かに私は日本でそういった家に住んでいる人を余り見たことがない。中国は広い国であるから様々な生活様式があり、それが現代社会の基準からみれば低いこともあるだろう。しかし、そこに住む人たちが昔からの伝統を守りながら好きでその生活をしているのであれば何も問題はない。が、生活の質の向上を望みながらもかなわないという場合、手を貸してくれる社会であってほしいと思った。

 

私は実際に行ってみなければ、今回見たことを聞いても実感が湧かなかっただろう。本場の中国人に会って、周りが言うほど中国人は怖い人ではないと改めて思った。飛行場で筆談した叔父さんも、大学の学生も、朝ごはんを毎日運んでくれたおじさんも、みんな私に笑いかけてくれた。

 

この短期留学は、私の常識を様々な形で打ち破り、またアジアにある日本という国も再確認させてくれた。これはアメリカやヨーロッパでは味わえないことだ。語学の面ではまだまだ未熟すぎるが、中国という国へ行き現実に異文化と交流することができたのは私にとってたいへん大きなことであり、一番の収穫だった。

野本 友紀 中国短期語学研修2011(韓山師範学院) (2012年05月30日)

私がこの短期語学研修で感じ、触れたものは、世界の広さと人の温かさでした。2週間という短い期間でしたが、それらを実感するには十分こと足り、とても尊ぶべき期間でした。

2週間のうち、さまざまな場面で文化の違いに気付かされ、とても新鮮であったと同時に戸惑いも感じました。施設のトイレにトイレットペーパーがあること、そのトイレットペーパーを水に流すこと、あんかけの餡は甘辛いこと、食器は食事前に洗わないこと─。
それらは私たち日本人の感覚でいうと当然のことであり、意識的に人々に根付いているものでありますが、中国人からするとそれらは奇妙なことと思われることであるかもしれないということ。

異文化を理解し、受け入れることは言葉にするのは容易ですが、実際それを行動に移すとなると言葉以上に骨の折れることであると感じました。

 

そして、研修期間の半分の1週間の間お世話になった韓山師範大学で、私は人の温かさに触れました。
中国に降り立ち、大学に着いたその日から、韓山師範大学の学生さんが笑顔で出迎えてくれ、宿に案内してくれました。それから1週間、愛媛大学の学生と韓山師範大学の学生がパートナーとして2人1組でペアを組み、中国人の学生たちが用意してくれたいろいろなイベントを通して、パートナーからたくさんのことを教えてもらいました。

私のパートナーは周少君さんという方で、とてもきっちりしたイメージを受ける方でした。彼女は中国語科の学生ということで日本語を全く話すことが出来なくて、私自身も日常会話レベルの中国語さえままならない状態であったため、私たちの会話は全て英語で行われました。

そうは言っても、私には所詮高校生レベルの英語能力しか備わっておらず、当初は自己紹介や世間話すらまともに出来なくて、これから1週間どうなるのだろうと不安で不安で仕方ありませんでした。

しかし、同じ時を過ごしていくうちに、そんな不安はいつの間にか消え去りました。授業で習った中国語を彼女に話してみたり、逆に彼女から興味を持った日本語の意味について聞かれたり、ボディランゲージや筆談を駆使して会話を重ねていく日々が過ぎていくうちに、彼女との心の距離は目に見えて縮まっていきました。

言葉はあまり理解できなくても、彼女が見た目と反して冗談が好きだったり、笑い上戸だったり、そんな一面を理解できたのは、やはり心が通じ合うことが出来たからだと思います。

 

また、その心を通わせ合うことが出来た大きな要因は、彼女の底無しの優しさにあります。私のつたない英語を諦めないで絶対に理解してくれようとする姿勢や、1聞くと10教えてくれる親切さ、何より私が楽しんでいるかどうかをいつも第一に考えてくれる温かい思いやりに、私は言葉に出来ないほどの感動を覚えました。

彼女だけでなく、韓山師範大学で出会った学生、先生方、お世話になった全ての人から溢れるほどの優しさを受け、私は感謝の気持ちで胸が一杯になりました。彼女たちとの出会いは、これから先私の人生において確実に私を温かくしてくれる、強くしてくれる糧として心にあり続けるでしょう。

中国に行く前と後とで、こんなに自分の感覚が変わるなんて想像もしていませんでした。異文化を学ぶということはこんなに壮大で複雑で、そして素晴らしいことであると今本当に実感しています。私たち若い学生がこのような経験を通して、各々が視野を広げていけば、日中の関係に限らず世界中のさまざまな国家間の関係の未来像は、決して暗いものではないと確信しています。

堀中彩花 中国短期語学研修2011(韓山師範学院) (2012年05月30日)

1、はじめに

 今回は2週間の間中国で過ごした。3日の夜に松山を出発し、4日は大阪からの移動、夜遅くに韓山師範大学に着いた。5日から10日までが潮州市の韓山師範大学で過ごし、11日から14日が桂林観光、15日から17日が北京観光、18日に帰国をいうスケジュールだった。

潮州市の韓山師範大学で過ごした日々と桂林観光・北京観光に分けてこれから書いていく。

2、潮州市の韓山師範大学で過ごした日々

1日目(3月4日)は、大学の広さに驚く。初めて大学の学生に出会う。学生のみんなが、荷物を持ってくれ、気を使ってくれて親切でうれしかった。中国に着てから次の日からが楽しみになった。

次の日(3月5日)は、学生との交流はまだなく、潮州市の観光をした。行った場所は、韓兪の博物館、韓江、潮州市の旧市街、陶器の博物館などである。この日私が一番驚いたのは韓江の広さである。まるで日本の湖くらいの広さだなーって感じたが、これはまだ中国の中では普通の川らしく、さすが大陸は雄大だと思った。この日の昼食は、精進料理。豆腐を肉にあしらったものやビーフンなどがとってもおいしかった。
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3日目(3月6日)は、韓山師範大学にいる間のパートナーと潮州の街に行った。私のパートナーは、暁婷(xiao ting)という名前の女の子で、年は私より2つ上の23歳で背が高い子だった。一緒に行った場所は、桃の花が見ることができる公園、街をぶらぶらウインドウショッピング、ファーストフード店、デパート、人民広場である。ファーストフード店では、有朋さんと有友さんのパートナーの暁玲と八塚さんと八塚さんのパートナー(名前を聞きそびれてしまった)と6人でふつうにずっと言葉を勉強しながらおしゃべりした。日本でも中国でもやっぱ女の子はおしゃべり好きってことがわかった。この後はデパートに行って、夕飯食べて、人民広場で噴水のお祭りを見た。ライトアップがきれいで感動した。
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4日目(3月7日)は、とにかく図書館にこもって一日、韓山師範大学の学生がしてくれる授業を受けて、中国語を学習した。途中集中力が切れそうになったりしながら頑張って勉強した。この日の昼ごはんは、韓山師範大学の学食で食べた。だいたい5元ですごく安かった。夜はパートナーと同じ部屋の池田さんとパートナーの友人と大学内と大学の近くの店で買い物。私は小物入れが欲しくて、先日買えなかったために連れて行ってくれました。このときに中国のお菓子の中でおいしいものとか聞いて買ったりもしました。

5日目(3月8日)は、午前中は昨日のように中国語の勉強、午後からは学生のカンフーを見に行き、実際に自分たちでも太極拳をやってみた。太極拳は、カンフーをやっている学生はすごくスムーズに動いていて自分にもすぐできそうとか思っていたが実際にやってみると難しく、さらにすごく筋肉を使う動きでとても大変だった。このあと、カンフーをしていた学生と交流、夜ご飯はホテルの外の場所にパートナーの学生や先生方みんなで行って食べた。酢豚やチンジャオロースがあってすごくおいしかった。食後は、日本語の授業に見学に行った。一人一人たくさんの学生の前で自己紹介をしてとても緊張した。中村君の先生もなかなか良かったと思った。
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6日目(3月9日)は、午前中はいつものように中国語の勉強、午後は料理の学科の学生に餃子の作り方を教えてもらい一緒に餃子を作りました。肉の餃子と野菜の餃子の2種類を作ったのですがとてもおいしかったです。その後、フルーツの飾り切りをみせてもらったりしました。本場の餃子の味とフルーツの飾り切りに感動した。夜は、パートナーの寮の部屋に行く約束をしていたので、部屋に遊びに行きました。3人部屋で、自分の御幸寮に住んでいたときのことを思い出しました。漢方のきのこのスープをごちそうになりました。自分の部屋に戻ってからは、次の日に発表するスピーチの作成をしました。
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7日目(3月10日)は、午前中は午後に発表するスピーチをパートナーに直してもらって、暗記をしました。

昼食後に、パートナーから漢詩の書いてある扇子とメッセージ入りのノートをもらいました。いろいろお世話になっていて、助けてもらってばっかりだったのに贈り物までもらってしまって感動でした。なので、スピーチ発表までの間にパートナーに手紙を用意し、スピーチ発表の前に渡しました。そして午後からはスピーチの発表。すごく緊張して、いっぱいかんでしまいました。その後、記念写真を学生のみんなと撮って、夜は送別会でした。修了証書もらった時は、まさかもらうとは考えていなかったためにとても感動しました。その後は、宴会でした。楽しかったのですが、部屋に帰った後寂しい気持ちになりました。
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2、桂林観光・北京観光

桂林に到着して、まずご飯を食べた後、象山公園で象鼻山を見ました。遠くに見える独特な山々に感動しました。その後、明の時代の皇帝の家を見に行き、科挙の試験場を見学した。実際の試験問題が展示してあって、自分の目で展示を見たことに感動した。そしてそこにある山に登るときに日本で大地震があったことを知った。その後は夕食を食べ、ホテルへ戻った。次の日、午前は鍾乳洞、午後からは滝のきれいな山へ行った。鍾乳洞も山もきれいでいっぱい歩くことは大変だったけど美しい景色で心が洗われたような気分になりました。夜は桂林の街の夜景を見に行きました。日本の夜景よりは派手だったけれど、華やかな感じが良かったです。その次の日は、离江下り。最初は霧がかかっていて山がきれいに見えなくて残念だと思っていたら途中から霧が少しずつ晴れていつしか遠くの山々も見えるようになりに良かった。ねこみみの形の山を見つけたりした。お昼のバイキングもポテトとかもあって久々に中国のごはんみたいなものも食べた。その後、陽朔の街につき、銀子岩を見に行った。ここも鍾乳洞でとても美しかった。夜は、陽朔の街を見に行った。活気のある街でいろんな店があった。
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3、北京観光

北京観光は、北京到着の翌日から始まった。1日目は、万里の長城、十三陵、お昼ご飯で肉まんのお店に行き、頤和園に行き、愛大から北京に留学している学生とみんなで北京ダックを食べた。2日目は天安門広場、故宮、お昼ご飯でマトンのしゃぶしゃぶのお店に行き、雨乞いの公園に行った後、大きなお土産屋さんで買い物をし、餃子のお店で餃子を食べた。3日目(最終日)は、1日自由な日で、同じ部屋の池田さんたちと一緒に北京の街を探索しに行った。王府井や西単に行き、主に花茶を買ったり、本を買ったりした。この3日間で、特に心に残ったのは、万里の長城で男坂にチャレンジしたこと、行って見たかった頤和園に行くことができ、生まれてはじめての北京ダックを食べたことである。ほとんどの世界遺産や有名なところに行くことができ感動した。
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