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谷原 翠 ネパール短期交換留学 (2008年08月18日)

Nepal 留学体験記

谷原 翠

留学の流れ
(2007年)
1月上旬 プルバンチャル大学へ留学申し込み
愛媛大学へ休学(2007年前期)申請
4月上旬 航空券手配
4月22日 松山→カトマンズ
5月上旬 コパカレッジで勉強開始
9月中旬 観光ビザ→学生ビザ 切り替え
11月18日 カトマンズ→松山

留学準備
 海外で生活してみたい!とふと思い,担当教官の戸澤先生に相談した。ネパールのプルバンチャル大学と愛媛大学法文学部の交換留学制度が始まるということで,いい機会だと思い,当時のプルバンチャル大学副学長(Prof.Pradhan)に連絡を取ってもらう。Pradhan先生は快く受け入れて下さり,戸澤先生を通じて交換留学受け入れ証明の手紙を郵送してもらう。
 愛媛大学を半年間休学し,その間ネパールに行くことにした。休学手続きや自分で準備ができそうな交換留学に必要な書類(英文の在学証明書など)は,早めに申請して準備をしておくべきだったと思う。

*学生ビザ申請
 ネパール入国後は観光ビザで5ヶ月までしか滞在できないので,学生ビザの申請をしなければいけない。ネパールImmigration OfficeのHPで必要なものを調べ,各書類を自分で申請したり受け取ったりしなければならないので,早めに準備する必要がある。
必要なもの
・パスポートと期限内の観光ビザ
・ネパールの銀行に$3000の預金とその証明書
・留学先の大学の在学証明書
・ネパール教育省からの手紙
・日本大使館からの手紙
などいろいろ・・・

留学期間
 ネパールへ着いてから10日後に,戸澤先生に紹介してもらったGiriさんに連れられてバクタプルのKhwopa Collegeへ。校長先生と直接面会でき,愛媛大学での専攻に基づいてKhwopaの授業科目を決定。直接指導にあたってくれる先生を紹介してもらう。
 私の参加した学年は,次の進学先へのテストを控えていて,6月~8月はテスト休みだった。でも,もし本人にやる気があれば別の学年の授業に参加することも可能な状況。
 私は,経済学の先生に週に1,2回個別に指導していただくことができ,マクロ経済の概要について英語のテキストと向き合った。しかし,この先生も7・8月は完全休暇に入る。

Khwopa College
 カトマンズからバスで1時間のところにあるバクタプル市の公立学校。(プルバンチャル大学傘下)エンジニアリング,社会学,看護科など,様々な専門がある。
 授業は,毎日同じ時間に自分が選択した科目を受ける。社会学全体で約30科目の授業の内,5つが英語による授業(その他はネパール語)。授業では,先生が教科書を音読し,生徒はそれをノートに書き取るのが一般的。
 一日の授業時間は5コマ(1コマ45分)で,6:30~11:15の午前中。幸い,私の授業時間は午前9時以降だったので,カトマンズからバスで登校しても問題はなかったが,先生とクラスメートからはバクタプルへの引越しをよく勧められた。もし希望すれば,先生方から個人的に住居のアドバイスをもらえた。
 校長先生がすごく力を貸してくださったことで,スムーズに勉強ができたと思う。

生活
 住居は,カトマンズの中心部,ツーリストエリアのタメルにあるアパートを借りた。Giriさんの家でホームステイをしている日本人の方からの紹介。日本人専用のアパートで,バスルームが部屋にあり,家具とTVつき,キッチンは共同。家賃とセキュリティーを考えると,十分な部屋だった。加えて,カトマンズでの生活は,他の地域に比べると格段に便利だったと思う。
だいたいの一ヶ月の生活費は,
家賃(光熱費含む) 6,000円
食費(自炊週5回,その他外食) 3,000円
交通・通信・交際費など 2,000円
ビザ代 4,000円
合計 15,000円
 近年カトマンズの物価は上がってきているといっても,ものすごい贅沢をしなければ,15000円程度で生活できる。インターネット環境については,街中にはもちろん,どんな田舎にも必ずネットカフェがあって,1時間50円程度で利用できるし,日本への国際電話は一般電話から1分40円~。交通費も安いので,週末や休暇中は小旅行にでかけることが多かった。
 ネパールならではの日常の特色は,夏から冬にかけて週2回1日2時間,地域ごとに決められた時間に計画停電がある。冬から春のひどいときには週6回1日6時間にも及ぶ。そのとき,自家発電機を持っていない一般人はロウソクの光で過ごす。
 カトマンズの治安は,それほどひどいとは思わないけれど,時期によっては政治状況が治安の悪化に影響を及ぼすことがある。ネパールでは,政情はまだまだ安定しておらず,よくストライキやデモが起こる。外国人を巻き込む過激なデモやテロは起こっていないので,一応危険な場所や時間帯を避けて行動すれば,基本的な身の安全については問題ないと思う。あとは,一般的な海外旅行と同じように,スリやひったくりに注意しておけばいいと思う。

British Council
 イギリス大使館併設の語学学校。ネパール人でなくても入学でき,日本の英会話学校と比べると格段に安いので(40時間30,000円),ネパール滞在中はずっと通いつめた。様々な年代のネパール人と勉強できることに加えて,中国・韓国からの留学生もちらほら通っているので,交流するのが楽しい。

留学を終えて
 振り返ると,一言では表わせない経験をたくさんできた。
カトマンズ到着から大学での授業を受けるまでは,プライベートから学業のことまですべて人の力を借りなければならない状況に,不安とストレスと申し訳なさがまじって焦りになっていた。特に,大学の校長先生に出会うまで,重要な場面ではすべてGiriさんの手助けなしでは何もできなかった。Giriさんには本当にお世話になり,感謝している。そして校長先生は,お忙しい中いろいろと助けてくださり,その他いろいろな人の助けで,ネパールではありえないほど早く身の回りをかためられたと思う。そのいわゆる準備期間は,前例のない留学だったので,基準となる過程がなく,行く先で出会う人の親切に身をまかせることの不安定さがつらかった。でも,交換留学のシステムが整ってくれば,これから留学する学生にはそういった心配はいらないと思う。
 ネパール人は,自分の感情をストレートに表現する人が多く,クラスメートと打ち解けるのは難しくなかった。その反面,日本の常識では理解できないことも当然たくさんあった。でも,ネパール人の人懐っこさには救われたところもある。
大学の授業が始まると,先生方は授業の選択などにおいて,すべて私の希望を優先して考えてくださり,ありがたかった。英語で授業を行える先生は社会学では2人だったが,そのうちの1人Ms.Neeraは,インド 留学を経験していて英語の発音がきれいだったので助かった。そして日本人の英会話の問題点を理解してくれて,私のレベルに合わせて個人指導をしてくださり,私はのびのびと学ぶことができた。先生から出される宿題の量は多く,経済学の専門用語は電子辞書にもなくて困ったけど,最初のころに真剣に専門書と向き合ったことは,よい体験だったと思う。
 大学が休暇に入ると,British Council(BC)での勉強に力が入ったけれど,1日1時間の授業でどれだけ英語の力が伸びたかは???BCでは,ネパール人や中国人・韓国人のクラスメートと英語でコミュニケーションをとるという貴重な経験ができた。授業は,教科書に沿って行われ,いろんなテーマについてそれぞれの国の立場から意見が交わされるのはすごくおもしろかった。積極的なネパール人のクラスメートからはいい刺激をもらい,イギリス人の先生や中国・韓国人のクラスメートとは国民性や文化的な親近感を持てたので,その環境で臆することなく語学の勉強ができたのは,すごくよかったと思う。
 ネパールへ来て2,3ヶ月のこの頃は,ネパールの生活もようやくスタートを切ったというかんじだった。悩まされていたホームシックも,友達ができ始めたこの時期になくなった。ただ,少し慣れて,気分も上向きになってきたということで,(今思うと)外国にいるという危機感が足りなかった。幸い,私は事件や事故には関わることがなかったけれど,もし気のゆるみで何か起こっても,ネパールでは周囲の対応に限界があることを強く認識しておくべきだったと思う。
 留学生活を半分過ぎたころからは,生活も安定し,充実した日々を送ることができた。この留学で得たものは,たくさんあるけれど,留学初期に何もできない自分と向き合ったことは,大きかった。ネパールという国は,何かをしようとしても計画どおりにいかないことが多い。しかも自分以外の要因がそれを邪魔することが多々あって,それを自分でどうにもできない状況に耐えることや,そんな自分を見つめなおすこと,人のなみなみならぬ親切に触れたことなど,いろんなあたらしい体験ができた。
 英語の学習については,ネパールは私にとって本当にいいところだった。萎縮してしまう英会話も,ネパール人の積極性に後押しされて,ためらうことが少なくなった。カトマンズ市内の学生は,ほぼ英語を話すことができるし,私立学校の学生になれば,そのレベルは高くなるので,英会話に慣れることができた。また,ケーブルテレビでいつでも世界の主要チャンネルが視聴できる環境や,英字新聞が安いことなども大きなポイントだった。
 私は当初から英語の学習に力を入れていたため,ネパール語は単語しか覚えなかったのが心残りだ。もっと滞在していたら,ネパール語もぼちぼち覚えて,もっとネパール文化を知ることができたと思う。あと,当初はヒマラヤ山脈に全く興味がなかったが,留学生活後半になって,青空に白く輝くヒマラヤの山々を見たのは衝撃だった。もっと山に注目しておけばよかったと思う。
改めて振り返ると,初めのころは,衛生的によくない環境の中で,見慣れない風習や人の性質にカルチャーショックを受け,ネパールにいながらネパール人や文化を受け入れられず,関わりを避けようとしていたように思うけれど,それは時がたつにつれて徐々に変化していった。気がつけば,ちょっとした潔癖症が治っていたり,クラスメートと友情を結んだり,山に見とれたり,ネパールの行事に参加したりと,自分の中で確実に変化していたものがあった。そうして慣れた頃に帰国することになったのは,本当に心残りだったけれど,いつかまたネパールに来て,今度は仕事ができたら幸せだなと思う。今の私の目標になった。
交換留学は,戸澤先生やPradhan先生をはじめ,いろんな人に支えられて実現したもので,留学を終えた今,本当にみなさんに感謝している。

重見 浩子 ネパール短期交換留学 (2008年08月18日)

ネパール短期交換留学

重見浩子

目次
1. ネパール
2. 短期交換留学
3. 異文化体験
4. ネパールの魅力
5. 愛媛大学とカトマンズ大学,ネパールの大学の今後

1.ネパール
ネパールは中国とインドの二大大国に挟まれた小さな国である。国土面積は147平方Kmで日本の約3分の1しかない。ネパールの高度は南部平野の70mから北部の世界最高峰エヴェレストの8848mというように大きな差がある。地形的に山岳地域(15%),丘陵地域(68%),タライと呼ばれる平原地域(17%)と3つの異なる地域に分類することができる。人口は約2700万人で,その8%は山岳地域,47%は丘陵地域,45%はタライ平野で生活している。 ネパールではネパール語が公用語とされているが,それ以外に先住民族のネワール語を始めとして70以上の言語が話され,さらに60以上の民族が生活している。
ネパールの経済水準は世界水準から見るととても低く,後発開発途上国の1つである。ネパールの80%以上の人は農村地域に住み,農業に従事している。ひとり当たりの国内総生産(GDP)は290$で,人口の38%は貧困生活を余儀なくされ,また識字率は60%に留まっている。2005年以降,政治不安のため,これまで好調だった主要サービス産業である観光業に深刻な影響を及ぼしている。
現在ネパールでは政治的に不安定な日々が続いている。1996年以降,王制打倒,世俗国家,インドとの不平等な関係の改善などを掲げて,ネパール共産党からマオイストが分派し武装闘争を開始した。しかし,2005年の国王による政権掌握をきっかけにマオイストと政党は連携し,国王に対して抗議行動を開始した。その後,2006年4月6日,民衆を巻き込んでの全国規模で抗議集会やゼネストを展開した。国王はこれを受け下院の復活を宣言し,政党マオイストもこれを受け事態は収拾した。しかし,制憲議会選挙の実施が2度延長され,未だに時期は決定されていない。今後も政治的に不安定な日々が続きそうだ。
1970年代以降,日本政府はネパールに対しODAでの援助活動を行なってきた。その活動内容は,農業・医療・教育・環境保全・道路や上下水道の設備建設の分野で,経済と生活向上のために現在も続けられている。

2.短期交換留学
今回,愛媛大学からカトマンズ大学に短期交換留学生として在籍し,社会経済に関する調査を行った。
カトマンズ大学はカトマンズ市内から30kmはなれたドゥリケルにある。ドゥリケルは過ごしやすい気候とヒマラヤの絶景ポイントで知られる。緑が多く静かなため,勉強しやすい環境である。1991年に創立された新しい大学で,高い教育水準と質の良い教育システムということで,とても人気の大学である。カトマンズ大学では学生を受け入れるだけなく研究者の受け入れも行っており,教育や研究・開発など幅広い事業を展開している。ネパール国内からだけでなく,海外からも信頼され期待されている。

運動場と男子寮               セントラルオフィス前

<社会経済の影響調査>
日本の無償資金援助でカトマンズ盆地から南部タライ平原までの道路が建設されている。ネパールの首都カトマンズは経済・政治の中心であり,ネパール最大の市場がある。現時の主要道路では迂回路であるために行き来に時間がかかり,さらにカーブが多く視界が悪いため,交通事故も多発している。こういった事情,また地元住民の生活向上の観点から,日本政府はネパール政府の要請を受け1996年から援助を開始した。
交通網の発達は社会経済の面で大きな役割を果たしている。大きな経済効果がもたらされると期待されるが,それと同時に住民に対する悪影響も考慮する必要がある。さらに長期的で広範囲な視点で開発援助は進められていく必要がある。経済効果や生活向上などの好影響と環境破壊や社会経済面での悪影響の,両方の均衡が重要なポイントである。
シンドゥリ・ロードは4つの工区に別れており,第1・4工区はすでに完成されており利用されている。現在第2工区が建設中である。今回の調査では,2005年に完成した第4工区の出発地点であるネパールトックに焦点を当て住民に聞き取り調査を行なった。
その結果,緩やかに生活が変化していることが明らかになり,そのため地域住民はその変化と今までの生活様式を合わせやすい。しかし,道路側で生活する住民と道路から離れた川岸で生活する住民との間に大きな差があることも明らかになった。すぐ近くに住む住民だけでなく,道路を利用するすべての人々に有効であるように考慮されるべきである。現時点では目立って悪影響が見られることはない。しかし,それはネパールトックで道路が途切れていること,新しい道路だという要因が考えられる。シンドゥリ・ロードは現在進行中の事業で完成には8~10年はかかると言われている。全開通後,車両や人の行き来はさらに増え,現在と比べて大きな変化が見られるだろう。その時にこそ,住民に対する悪影響は最小限に,そして現在よりも慎重に考慮されるべきである。

カトマンズ大学の学生達と        第4校区の始発点:ネパールトック

3.異文化体験
ネパールではすべてが神様である。太陽や水,土を始めとして道端に転がっている小石や草も神様なのだという。そのため「ネパールでは国民よりも神様の数が多い」と言われている。ネパールではヒンドゥー教と仏教が共存しているのが特徴である。人々は毎日欠かさずお祈りし,どこへ行っても神様を大切にしている。日常生活で宗教とあまり関係の無い生活を送っていた私は,ネパールでは毎日が異文化体験であった。

ダルバート(ご飯,豆スープ,野菜,漬け物) カジャ(ネパールのおやつ:干し飯,豆など)

<結婚式>
ネパールでは「赤」が幸福の色とされ,結婚式やお祝いの席には必ず女性は赤いものを身に付ける。そして,耳飾りは金製で豪華である。民族やカーストによって結婚様式も異なる。しかし,普段質素な生活をするネパール人だが結婚式となると,とても豪華で盛大な式を挙げる。お酒を飲み,ご馳走を食べ,踊ったりおしゃべりをしたり,の繰り返しが何日か続く。お祝いの席など楽しめる場面で,思いっきり楽しんでいるネパールの人々の明るさがとても素敵だった。

民族衣装を着た花嫁       装飾された車/祝福する家族

家族から祝福される花嫁と花婿          儀式の場

<ブッダ・ジャヤンティー(お釈迦様生誕日)>
1768年ネパール統一を果たしたプリティビ・ナラヤンはゴルカ出身である。ゴルカ兵は勇敢で世界でも有名である。
ゴルカから数キロ離れたところにKOUDI村はある。ブッダ・ジャヤンティーの特別な儀式を見せてもらうために友人の実家を訪問した。ネパールでは電気のない村はたくさんあり,KOUDI村もそのうちの1つである。しかし,KOUDI村では半年後には電線が運ばれてくるということで,電気のないKOUDI村で儀式を見る最後の機会だった。
村で選ばれた少女2人は一晩中踊り続け,その儀式が3日間続いた。自然に涙が出てくるそうで,泣きながらずっと踊り続けていた。村の女性の中には突然体が震えだす人や泣き出す人などもいて,その他の住民はただ見守るだけだった。
この儀式のために遠くから見物に訪れる人も多いという。昔から語り継がれている伝統民謡がこの儀式の特徴である。このためにカトマンズ市内から一日かけて里帰りしている人も多かった。しかし,この民謡を歌える人が年々減っているそうだ。この儀式をいつまで続けられるかどうか心配だと村人は語っていた。KOUDI村では若者が村を出てカトマンズ市内に働きに行っているという。これはKOUDI村だけに限ったことではないが,変わっていく時代と伝統を守ることのバランスをとるのは難しいことだと改めて実感した。

踊り続ける少女達           共同水道

KOUDI村の人々             電気のない村での生活

<祭り/ダサイン,ティハール>
毎年10月中旬から11月上旬までダサインとティハールというお祭りが立て続けに行なわれる。10月頃雨期も終わりヒマラヤも見えるようになってくると,ネパール全体がお祭りムードに包まれる。

ダサイン:ネパール最大のお祭りで14日間行なわれる。戦いの女神ドゥルガが魔物に勝利したことを祝うお祭りで9日間には女神の勝利を願って水牛やヤギなどの生贄が捧げられる。10日目がメインの日となり一家の長老から祝福を受ける。ダサインでは家族や親戚で集まり,派手にお祝いをする。

マチャプチャレ(魚の尾)        湖とヒマラヤ リゾート地ポカラにて
ティハール:光の祭典とも呼ばれ,街中がろうそくや電球でライトアップされ,とても美しい祭りである。ネパールの先住有力民族ネワール族の新年のお祭りでもある。富と繁栄の女神ラクシュミが家に来てくれるように玄関から部屋までの道のりを光で灯して迎え入れる儀式を行う。また,女性の守護力を男性に与えるために姉妹から兄弟へ祝福のしるしを送る儀式など,いくつかの祭りが合わさって行われる。
気候もよくヒマラヤも鮮明に見えるこの時期はお祭りに最適で,ネパールの友人たちと心からお祭りを楽しむことができた。

ライトアップされた街        マンダラとお供え物 ネワールの友人宅にて

ネパールの食事ネパール式に調理された魚と一緒に マンダラを描く 異文化体験

4.ネパールの魅力
ネパールは小さな国であるが,その小さな国には多くの世界レベルのものがある。
青い空の中に真っ白に輝いてそびえ立つヒマラヤの山々には毎日感動していた。乾期にしかきれいで鮮明に見えないのが残念だが,だからこそより美しく見えるのかもしれない。
<トレッキング/ランタン谷>
ランタン谷はカトマンズ盆地から比較的近くで簡単にいけるトレッキングポイントである。普段から体力には自信がなく,また慣れない高度ということで,高山病にかかってしまい,3000mを超えて辿り着くことはできなかった。しかし,その途中で見た草花の美しさや,新鮮な野菜で作られたダルバートの美味しさを想うと,それでだけで十分である。次回はぜひエヴェレストを間近で見たいと思う。

ランタン谷 友人から         山でロッジを経営する女性と


白い花 2800m地点で       採れたての野菜でできたダルバート

<ルンビニ>
ブッダの生誕地と知られるルンビニには,毎年仏教徒だけでなく多くの人々が訪れている。ネパールの南部でインドとの国境付近に位置しており,山や丘もないので,とても広々としている。また車の行き来も少ないので,ルンビニの街全体が緩やかで静寂としていた。現在ルンビニでは開発プロジェクトが進行中である。1978年に今治出身の建築家丹下健三がマスタープランを作成し,現在もこの計画に基づき整備が進められている。また,仏教の広まっている国々からさまざまな寺院,仏塔などが建設されており,完成にはまだ時間がかかりそうだった。1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

平和の灯火       ブッダの一生を壁に描いた寺院

この菩提樹の種から世界中に広がったという   ブッダとロータス(蓮の花)

5.愛媛大学とカトマンズ大学,ネパールの大学の今後
現在,愛媛大学はカトマンズ大学を始めとするネパールの5つの大学と大学協定を結んでいる。愛媛大学から卒業したネパール人も多く,また市内に愛媛大学サテライトオフィスが設置され,両国の大学レベルでの親交が深まりつつある。今回私の滞在中には利用する機会は少なかったが,今後は日本語教室の開催や両国の留学生への支援事業が実施されることになっている。
私は今までに前例のない状況で交換留学生としてネパールに滞在した。研究など学術交流は活発に行なわれているが,学生や研究者の交換留学は始まったばかりである。文化・生活習慣・宗教など日本とは全く異なる生活習慣に戸惑うことばかりであったが,愛媛大学関係者をはじめとするネパール人,現地の日本人に助けられてきた。そして,短期間ではあったが貴重な経験ができ,また一生の想い出を作ることができた。これからはさらにサテライトオフィスから愛媛大学の情報を発信し,ネパールの大学との友好交流の場として活用されることを願っている。また,私なりにこれからもネパールの人々,ネパールという国や文化と付き合い続けていきたい。

友人との大切な思い出

三瀬 史 ネパール短期交換留学 (2008年08月18日)

ネパールでの30日間

法文学部人文学科 2回生 三瀬史

 今回,私は愛媛大学の協定校である,ネパール工科大学への交換留学生として春休みのひと月をネパールで過ごしました。
 日本から丸一日をかけ,首都カトマンズにある,カトマンズ空港に到着した最初の日,独特の町の風景とほこりっぽさに外国を感じました。私は海外に行くのが初めてで,不安でいっぱいでしたが,そんなこともホームステイ先の家族に会った瞬間に吹き飛んでしまいました。そのホームステイ先は,ネパール工科大学の学長宅でしたが,家族全員,私を心から温かく迎えてくれ,最初に感じていた不安は期待へと変わりました。
 到着後,しばらくガソリン不足で大学へのバスが出ず,大学へ通うことができませんでした。そこで,家族と街へ買い物・食事に出かけました。そこで感じたのは貧富の差と,発展途上国の現状です。ネパールには,未だカースト制が消えておらず,名字を名乗るだけで大体の位が分かるらしく,その身分は一生変わらないものです。町には,物乞いをする人や,道端に捨てられたゴミをむさぼる人,飢えて死にそうになっている人,たくさんの人を見かけました。その度に,心は疼きましたが,何もできない自分がいました。また,不足しているのはガソリンだけではなく,水や電気も同じで,1日に8時間の停電と,急な断水を経験しました。夕方ごろになると外はとても冷え込み,停電のため真っ暗な景色を見て,街で出会った家のない人たちのことが気にかかる毎日でした。
 到着して5日程経って,ようやく大学へ通学できました。大学ではすべての教員,スタッフ,生徒が優しく接してくれ,毎日学校へ行くのが楽しみでした。工科大学だったので,工学系の授業が多かったのですが,現地の人々はどの授業も英語で受けていました。そこに日本との違いを感じました。そのせいか,どの生徒も英語が流暢で,大変驚きました。また,それが自分の英語力向上にもつながったのでとてもいい環境でした。一方で,スタッフの中には,学校に行っていないため,読み書きができないという人もいて,最初は意思の疎通に困りました。しかし,彼らには,それを学ぶ手段がないため,私が必死でネパール語を独学し,最後のほうには,かなり打ち解けることができました。
 そのほかにも,偶然ホストファミリーの親戚の結婚式があり,参加させてもらいました。親子の涙や,兄弟たちの贈り物,全員で踊ったダンス・・・・家族の絆の深さや,しきたりを大事にする姿勢に感動しました。ネパールでは,日本のような核家族は少なく,何世帯もの単位で生活しています。そこに魅力と温かさを感じました。
 日本から出発するときは,私からなにかネパールの方のためにできたらいいなと思っていましたが,実際は,私がたくさんのことを学ばせてもらうばかりで,何もできなかったように感じます。そこで,次に行く時には,ネパールで知り合ったボランティア団体の方たちのようにしっかりと計画を立てた上で,学生という立場ではなく,奉仕者の一人として,ネパールへ恩返しができたらなと思っています。
 この春,人生の中で,最も貴重な体験をさせていただきました。
お世話になった愛媛大学の先生方,ネパールのすべての方に,心から感謝しています。